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金運・商売繁盛の福

「呉服」の語源になった神社 — 池田・呉服神社と織姫伝説

着物を「呉服」と呼ぶのは、応神天皇の時代に呉の国から渡ってきたと伝わる織姫・呉服媛(くれはとり)に由来する、と池田市観光協会は紹介しています。大阪府池田市の呉服神社は、呉服媛が亡くなった翌年、その功績を称えて社を建てて祀ったのが始まりと伝わります。

2026-07-14 | 執筆・編集:福跡マップ編集部

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まんがの内容は下の本文(出典つき)をもとに構成しています。

着物や反物を扱う店を「呉服屋」と呼びます。でも考えてみると不思議です。呉服の「呉」は、三国志に出てくるあの中国の国名。なぜ日本の着物に、海の向こうの国の名前が付いているのでしょうか。

その答えと伝わる神社が、大阪府池田市にあります。阪急池田駅から歩いて3分、呉服神社(くれはじんじゃ)。「ごふく」ではなく「くれは」と読みます。祀られているのは、およそ1700年前に海を渡ってきたと伝わる一人の織姫です。

海を渡ってきた織姫たち

神社の公式由緒と池田市観光協会の資料は、こんな物語を伝えています。

応神天皇の時代(観光協会は応神天皇37年、西暦換算で306年とします)、天皇はすぐれた縫工女を求めて、阿知使主(あちのおみ)・都加使主(つかのおみ)という父子を呉の国へ遣わしました。父子は道が分からず高麗国に立ち寄り、案内人を得てようやく呉へたどり着きます。そして呉の王に願い出て、4人の織女——呉服(くれはとり)・穴織(あやはとり)・兄媛(えひめ)・弟媛(おとひめ)を譲り受け、日本へ連れ帰りました。

兄媛は九州の筑紫潟に留まり、残る三媛の船は摂津国・武庫の浦(いまの西宮あたり)に到着。そこから猪名川をさかのぼり、池田の「唐船が淵(からふねがふち)」と呼ばれる淵に着いたと伝わります。織姫たちはここに建てられた機殿に迎えられ、機織と裁縫の技を人々に伝えました。日本の衣服が季節や場に応じて豊かになっていく、その始まりの物語です。

呉の国から摂津国・武庫の浦を経て猪名川をさかのぼり、池田の唐船が淵に着いたと伝わる織姫たちの流れ図
呉の国から摂津国・武庫の浦を経て猪名川をさかのぼり、池田の唐船が淵に着いたと伝わる織姫たちの流れ図

街そのものが物語の舞台になっている

池田の街の地名は、まるごとこの伝説の舞台装置になっています。

織姫が糸を染めるために水を汲んだ井戸は「染殿井(そめどのい)」として満寿美町に残ります。猪名川で絹を洗い、川原に延べて乾かした場所は「絹延橋(きぬのべばし)」という橋の名になりました。織った絹を掛けて干したと伝わる「絹掛の松」、夜遅くまで機を織ったという「星の宮」。穴織媛の名は「綾羽(あやは)」という町名になり、そして「呉服町」という町名も駅前に残っています。

染殿井・絹延橋・絹掛の松・星の宮・綾羽・呉服町など、伝説の舞台になった池田の地名の表
染殿井・絹延橋・絹掛の松・星の宮・綾羽・呉服町など、伝説の舞台になった池田の地名の表

「呉服(ごふく)」という言葉自体がこの呉服媛に由来する——絹織物が呉服と称されるいわれの神社だ、と池田市観光協会は紹介しています。神社の由緒は、「くれは」という言葉を「呉(くれ)服(はとり)」がつづまったものとしています。語源には諸説ありえますが、少なくとも池田の人々は千年以上、この街を織姫の街として語り継いできました。

姉妹で分かれた「下の宮」と「上の宮」

呉服媛は仁徳天皇76年に亡くなり、その功績を称えて翌年に社を建てて祀ったのが呉服神社の始まりと伝わります。御祭神は大鷦鷯尊(おおさざきのみこと。仁徳天皇のことです)と呉服(くれはとり)。そして興味深いことに、姉妹の織姫はいまも池田で別々に祀られています。呉服媛は里の呉服神社——通称「下の宮さん」。穴織媛は五月山のふもとの伊居太(いけだ)神社——通称「上の宮さん」。姉妹の宮が街の下と上で向かい合う配置です。

呉服媛の呉服神社(下の宮さん)と穴織媛の伊居太神社(上の宮さん)を並べた表
呉服媛の呉服神社(下の宮さん)と穴織媛の伊居太神社(上の宮さん)を並べた表

社殿は天正年間、伊丹城主・荒木村重の乱で焼失しましたが、慶長9年(1604年)に豊臣秀頼が片桐且元を奉行として本殿を再建。この本殿がいまも残ります。拝殿は昭和43年の建て替えで、正面のステンドグラスという神社には珍しい意匠が特徴です。

いまも「服の神様」であり続けている

呉服神社は現在も、織物・服飾関係の人々の信仰を集めています。アパレルや裁縫に関わる方のお参りが多く、織物をモチーフにした御守も授与されています。また明治33年にえびす社が境内に合祀されて以来、毎年1月9日から11日の「池田えびす」は、露店も出る北摂の冬の風物詩になっています。

服に関わる仕事をしている方はもちろん、「呉服ってそういう意味だったのか」と思いながら訪れると、駅から3分の小さな境内が、1700年分の物語の終着点に見えてくるはずです。

訪れる前に

呉服神社の物語を読んだら、境内にあるQRの案内も探してみてください。神社の公式サイトでは、各場所のQRから図解や説明が読めると紹介されています。すべての案内が現地で今も読めるかは確認していませんが、由来と目の前の場所をつなぐ手がかりになりそうです。

呉服神社は阪急池田駅から徒歩3分。「足の神様」として知られる服部天神宮にも足を延ばす場合は、宝塚線で服部天神駅へ移動し、そこから歩く組合せを考えられます。徒歩だけで隣り合う二社という意味ではありません。阿比太神社へ向かうなら、石橋阪大前で箕面線に乗り換え、桜井駅か牧落駅から歩く選択肢があります。(2026年9月30日、公式案内を確認)

御朱印は、「呉服神社」と「えびす」の2種類が通年で各300円と、神社の2026年7月1日のお知らせにあります。手書きできない場合は、書置きの朱印紙で対応するそうです。

七五三のお参りは、神社の2026年8月31日のお知らせによると、11月中の10時から17時ごろまで30分ごとに行われ、10月と12月も対応するそうです。初穂料は8千円で、「ご兄弟ごとに千円減」と書かれています。予約の電話は9月から社務所(072-753-2243)で受け付けています。(2026年9月30日、公式案内を確認)

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この記事の場所のそばにある福

呉服神社の周りには、池田市の福が2件あります。

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参考・出典

13件出典に基づいて掲載しています

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