志紀長吉神社(しきながよしじんじゃ)|どんな福が宿る場所か
大阪市平野区長吉長原に鎮座する延喜式内の古社で、長江襲津彦命と事代主命を祀ります。神社公式によれば、大坂夏の陣の慶長20年(1615年)に真田幸村が戦勝を祈願し、軍旗と刀剣を奉納したと伝わります。
刀剣は第二次世界大戦後に没収されましたが、赤い地に黒の六文銭を描いた麻布の軍旗は今も神社に保存されています。神社公式は年2回を目安に一般公開していますが、公開中止の場合があるため事前確認を呼び掛けています。

近くの福
- 式内楯原神社(しきないたてはらじんじゃ)(縁の福・約1.7km)
- 赤留比売命神社(三十歩神社)(除の福・約2.3km)
- 全興寺(せんこうじ・地獄堂とほとけのくに)(除の福・約2.6km)
- 渋川神社のくす(澁川神社の大楠)(木の福・約2.8km)
時のながれ
- 慶長20年(1615年・伝承) — 大坂夏の陣に際し、真田幸村が戦勝を祈願して軍旗と刀剣を奉納したと神社公式が伝えます。
- 明治5年(1872年) — 大阪市の案内によれば旧郷社に列せられ、当時は周辺各村の総氏神でした。
- 第二次世界大戦後 — 刀剣は占領軍の命令で没収された一方、軍旗は神社に残りました。
- 現在 — 神社が軍旗を保存し、年2回を目安に公開しています。祭事等で中止する場合があるため、来訪前の確認が必要です。
このページで確かめたこと
資料照合/未解決
2026年9月5日に大阪市平野区と志紀長吉神社公式のウェブ資料を照合しました。1615年に真田幸村が戦勝を祈願して軍旗と刀剣を奉納したという伝承は、神社公式が伝えています。刀剣が戦後に没収されたことと、軍旗が神社に残ることでは両資料が一致しています。軍旗の色について、神社公式は一般に知られる『赤字に白ぬき』のイメージを自ら否定し、『赤字の黒』が正しいと説明しています。大阪市平野区の本文には色の記述がありません。
奉納を直接記録した同時代史料と、没収後の刀剣の所在は今回の2資料から確かめられていません。軍旗の公開日は変更・中止があり得るため、来訪前に神社へ確認が必要です。現地取材は未実施です。
この節の確認に使った資料
🗺 この地点を明治の地図で見る(今昔マップ on the web)
この福を掘り下げた記事
🌙 この土地の痕跡
- 真田丸出丸跡(天王寺区餌差町周辺)大坂冬の陣で真田信繁が築いた出丸の推定地を、考古学的な未確定点とともに紹介しています。
- 安居神社(真田幸村戦死跡碑)大坂夏の陣後の最期の地と伝わる場所です。
参考・出典
3件出典に基づいて掲載しています
- 志紀長吉神社
大阪市平野区 - 社宝(大阪夏の陣 真田幸村公奉納「六文銭軍旗」)
志紀長吉神社 - 神社の由緒と主祭神
志紀長吉神社
訂正履歴
公開後に内容を改めた箇所を、日付とともに記録しています。
- :参考・出典に、神社公式の「神社の由緒と主祭神」のページを加えました。
この場所について
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