車折神社|どんな福が宿る場所か
平安後期の儒学者・清原頼業(1122~1189)を祀る神社です。神社公式由緒によれば、頼業は大外記を24年間務め、晩年には九条兼実から政治の諮問を受けました。文治5年(1189)に没すると、清原家の領地だった現在の社地に葬られて廟が設けられ、法名「宝寿院殿」にちなむ宝寿院が営まれました。宝寿院は室町時代、足利尊氏が創建した天龍寺の末寺となったとされます。頼業が桜を好んだため廟に多くの桜が植えられ、当初は「桜の宮」と呼ばれました。社名について、神社公式は、後嵯峨天皇が大堰川へ御遊幸した際、社前で牛車の轅が折れたため「車折大明神」の神号を賜ったと伝えます。京都市の石碑案内には、牛が石の前で動かなくなり、その石を「車前石」と呼んだことに由来するという別伝もあります。境内の車折神社碑は、明治42年(1909)に当時の社司・高田静衛が建立した、清原頼業の事績を顕彰する高さ197センチメートルの碑です。末社の芸能神社は昭和32年(1957)に天宇受売命を分祀して創建され、芸能・芸術の信仰を集めています。
時のながれ
- 文治5年(1189) — 清原頼業が没し、清原家の領地だった現在の社地に葬られて廟が設けられ、のちに法名にちなむ宝寿院が営まれたと伝わります。
- 室町時代 — 宝寿院は、足利尊氏が嵐山に創建した天龍寺の末寺となったと神社公式由緒に記されています。
- 後嵯峨天皇の御代(伝承) — 神社公式では、天皇の牛車の轅が社前で折れ、『車折大明神』の神号を賜ったことが社名の由来と伝えられています。
- 明治42年(1909) — 当時の社司・高田静衛が、祭神・清原頼業の事績を顕彰する車折神社碑を境内に建立しました。
- 昭和32年(1957) — 天宇受売命を分祀して、末社の芸能神社が創建されました。
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参考・出典
- 車折神社 ご利益・ご由緒
車折神社(公式) - 芸能神社 ご由緒
車折神社(公式) - 車折神社碑
京都市