伊奈波神社(いなばじんじゃ)|どんな福が宿る場所か

岐阜市伊奈波通り、金華山(稲葉山)の麓に鎮座する神社です。神社公式の由緒は、もと稲葉山近くの丸山の地にお祀りされていた社が、天文8年(1539)に斎藤道三が稲葉山を居城とするにあたり、現在の稲葉山の麓の地へ奉遷されたと記しています。また公式は、水を制するには金を以って当てるという陰陽五行説から周囲に水・金に関する地名が多いことにふれ、当社は水防の神としても信仰されてきたと説明しています。
境内には社がいくつもあり、本殿の奥に黒龍神社が鎮座します。公式の境内案内は、黒龍神社が天文8年の遷座以前から当地に鎮座していたこと、御祭神が黒龍大神(高龗神)、祭礼日が7月24日であることを記し、多くの人々が福徳増進・諸願成就の神様として祈りと感謝の心を捧げていると伝えています。
授与所で配られる境内社のリーフレットは、いなば大黒社(祭神 大己貴神)を宝永六年(一七〇九)の鎮座以来、福徳円満・医薬治病・延命長寿・商売繁盛の神徳があらたかな神として崇敬が寄せられる社と記し、黒龍社(祭神 高龗神)を闇龗神と同じく雨水をつかさどる神で、神燈を捧げる風習から献灯が相次いだ社としています。ほかに吉備神社(吉備津彦命・服飾・和洋裁・手芸の守護神。針塚があります)と楓稲荷社(宇迦之御魂神・商売繁盛・健康増進)が同じリーフレットに載っています。
この社寺に伝わる願いごと
由緒や資料で確かめられた範囲で、次のような願いごとが伝えられています。
押すと、同じ願いごとが伝わる場所を地図で探せます。
時のながれ
- 天文8年(1539) — 斎藤道三が稲葉山を居城とするにあたり、丸山の地から現在の稲葉山の麓へ奉遷されたと神社公式が記しています。
- 天文8年(1539)以前 — 公式の境内案内は、黒龍神社が伊奈波神社の遷座以前から当地に鎮座していたと記しています。
- 宝永六年(1709) — 授与所の境内社リーフレットは、いなば大黒社がこの年の鎮座以来、大国主神をまつってきたと記しています。
現地の写真




近くの福
- 八大龍王総本殿(苧ヶ瀬池)(水の福・約12.8km)
- 山中不動院(寶宮寺)(除の福・約13.7km)
- 名もなき池(通称:モネの池)と根道神社(水の福・約25.4km)
- 多度大社(北伊勢大神宮)(除の福・約35.3km)
このページで確かめたこと
現地確認/資料照合
2026年9月12日の15時半ごろに参拝しました。境内に無料の駐車場があります。参道は奥へ行くほど上がっていき、石段の上に楼門が立ちます。本殿の奥、すぐ横に黒龍社の入口があり、石の標柱には「福徳 黒龍大神」と刻まれています。その先は苔の石段で、まわりに絵馬が掛かっていました。
授与所の御朱印の受付は9時から16時半までです。神社公式サイトも、授与所は午前9時から午後4時30分までと案内しています。この日は御朱印が3種類出ており、書き置きと直書きの両方がありました。いただいたのは、直書きの「伊奈波神社」(右上に赤い菊の紋が押されています)と、書き置きの「黒龍神社」(濃い紙に金文字と箔押しの龍)の2点です。写真と御朱印をサイトに掲載してよいかを授与所で確認し、いずれも差し支えないとの回答をいただいています。
同じお社の名前が、標柱では「福徳 黒龍大神」、リーフレットでは「黒龍社」、御朱印と公式サイトでは「黒龍神社」と書かれています。どれかに直さず、それぞれの表記のまま記しました。リーフレットに載る吉備神社の針塚と、楓稲荷社そのものは、この日は撮影していません。
この節の確認に使った資料
🖌 この社寺でいただいた御朱印の記録: 2026年9月12日(参拝記録の一覧へ)
🗺 この地点を明治の地図で見る(今昔マップ on the web)
この福を掘り下げた記事
🌙 この土地の痕跡
同じ土地の、歴史の側の顔です。
- 伊奈波神社の移座(斎藤道三が稲葉山城のために動かした社)同じ社を、土地の履歴の側から見たページです。天文8年の遷座をたどっています。
参考・出典
5件出典に基づいて掲載しています
- 境内のご案内(黒龍神社・龍頭岩ほか)
伊奈波神社 - 御由緒
伊奈波神社 - ご参拝のご案内(授与所の時間)
伊奈波神社 - 境内社リーフレット(いなば大黒社・黒龍社・吉備神社・楓稲荷社)
伊奈波神社(2026-09-12 授与所で入手) - 現地標柱「福徳 黒龍大神」
現地(2026-09-12 撮影確認)
この場所について
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