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現地レポ

止止呂支比賣命神社へ行ってきました — 読めない名前と、力士の手形と、若松御所

2026-08-14 | 執筆・編集:福跡マップ編集部

住吉めぐりの夕方、阪堺線の細井川駅の近くまで歩いて、この日最後から二番目の神社に着きました。夕方6時前です。

まず、名前が読めませんでした。

「式内 止止呂支比賣命神社」の社号標
「式内 止止呂支比賣命神社」の社号標

社号標には「式内 止止呂支比賣命神社」とあります。「止止呂支比賣命」。現地で見たときは本当に読み方が分からなくて、帰ってから調べました。「とどろきひめのみこと」神社。平安時代の延喜式に載る式内社で、地元では「若松神社」「若松さん」と呼ばれているそうです。なぜ若松なのかは、あとで分かります。

鳥居と社殿
鳥居と社殿

境内の由緒書きに、この読めない社名の由来が書かれていました。

由緒書き
由緒書き

御鎮座の年代は不詳ながら、平安時代の延喜式の神名帳に名が見える古い社で、御祭神は素盞嗚尊、稲田姫尊、そして社名の止止呂支比賣命。当時、境内の松林の中には清らかな清水の湧く轟池(とどろきいけ)があり、そこに「トドロキ」という橋が架かっていて、住吉大社の摂社「奥の院」として祀られていたそうです。「止止呂支」という不思議な字は、この池と橋の「とどろき」でした。

境内に、力士の手形

境内を歩いていて、目を引いたのがこれです。

力士の手形の碑
力士の手形の碑

力士の手形が並んだ碑。なんでお相撲さん?と思ったら、すぐ隣に答えがありました。

「高田川部屋」の看板が掛かる建物
「高田川部屋」の看板が掛かる建物

「高田川部屋」と掲げられた建物が、境内のすぐ横に建っています。大相撲の高田川部屋です。大阪場所のときは、このあたりが宿舎になるようです。神社の境内と相撲部屋が地続きになっている光景は、初めて見ました。

裏手に回ると、ものすごく立派な御神木が立っています。

御神木
御神木

夕暮れの逆光で、幹のシルエットがきれいでした。

「若松御所」— 名前の答えは、承久の乱の年

社殿の奥に、石組みと狛犬の並ぶ一角があり、その傍らに「若松御所」と題した碑が立っています。刻まれていた由来を要約すると、こうです。

若松御所の跡とされる一角
若松御所の跡とされる一角
「若松御所」の碑
「若松御所」の碑

承久3年というのは、承久の乱の年です。教科書で読んだ「後鳥羽上皇が鎌倉幕府を倒そうとして敗れた」あの乱の直前に、上皇が熊野詣を装って兵を集めていた——その舞台のひとつがこの境内だった、と碑は伝えています。

いま境内に立っても、そんな緊迫の跡はどこにもありません。相撲部屋の建物があって、御神木が夕日を受けていて、静かな住宅街の神社です。でも「若松さん」という呼び名の中に、800年前の松と御所が残っている。名前が読めなかった神社で、この日いちばんの歴史に出会いました。

ちなみに住吉には、これとは別に南北朝時代の「住吉行宮跡」もあります。ひとつの土地に、時代の違う「御所」の記憶が二つ。このあたりは痕跡マップ側でも改めて書こうと思います。

「真住み吉し、住吉の国」

この日の道中では、「住吉のいわれとまちなみ」という銅板の説明板も見つけました。

「住吉のいわれとまちなみ」の銅板
「住吉のいわれとまちなみ」の銅板

奈良時代に編まれた摂津国風土記に、住吉の大神がこの地に至ったとき「これぞ、まことに住むべき国なり」——「真住み吉し、住吉の国」と言って神の地と定めた、という地名の由来が書かれているそうです。中世には「蟻の熊野詣」と言われるほど賑わった熊野街道の要衝でもあった、と。

朝から一日歩いてきた「住吉」という名前そのものの答えに、日暮れどきに出会いました。

次の記事は、この日の締めくくり——夜の大阪護國神社、みたま祭りの話です。

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参考・出典

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