神明神社(尾平町)|どんな福が宿る場所か

四日市市尾平町の社叢に鎮座する社。三重県神社庁の由緒では、主祭神は天照皇大御神で、往古は御厨神明社と称したとされます。創建年は分かっていませんが、地域の「神前ふるさとマップ」(2018年)は、もと高柳(尾平町南)にあり、1688(元禄元)年に現在の場所に移ったとの記録を紹介しています。
参道の社号標には「村社 神明神社」と刻まれています。境内には稲荷の朱鳥居が石段沿いに連なり、「氏神一見霊社」の扁額を掲げる社と、橿原神宮遥拝所の碑が建っています。
社叢の脇には「皇太子殿下御駐跡」と刻まれた石柱があります。同じマップによれば、皇太子だった頃の大正天皇が1912(明治45)年、陸軍参謀演習視察の折に谷田山(現在の美里ヶ丘)に立ち寄ったことを記念する碑で、美里ヶ丘の造成に伴って現在は神明神社の東角に移設されているとされます。1912年は記念する出来事の年で、碑を建てた年ではありません。
時のながれ
- 元禄元年(1688) — 「神前ふるさとマップ」(2018年)は、もと高柳(尾平町南)にあった社が、この年に現在の場所へ移ったとの記録を紹介している。
- 近代 — 社号標に「村社」と刻まれ、近代の社格制度のもとで村社とされていたことがうかがえる。
- 明治45年(1912) — 皇太子だった大正天皇が、陸軍参謀演習視察の折に谷田山(現在の美里ヶ丘)に立ち寄った。境内の「皇太子殿下御駐跡」の石柱はこれを記念する碑で、のちに美里ヶ丘の造成に伴って神明神社の東角へ移されたと同マップは紹介している。1912年は記念する出来事の年で、碑を建てた年ではない。
現地の写真






近くの福
- 保曽井神社(曽井城の氏神)(除の福・約1.6km)
- 桑名宗社(春日神社)(除の福・約13.6km)
- 多度大社(北伊勢大神宮)(除の福・約17.5km)
- 伊奈波神社(いなばじんじゃ)(水の福・約52.5km)
このページで確かめたこと
現地確認/未解決
2026年8月12日に境内を歩き、「村社 神明神社」の社号標、「氏神一見霊社」の扁額、橿原神宮遥拝所、「皇太子殿下御駐跡」の石柱を撮影しました。境内には由緒書きが見当たりませんでした。その後、祭神は三重県神社庁の由緒で、石柱が記念する出来事は地域の「神前ふるさとマップ」で確かめました。当サイトの写真と、マップに載る碑の写真の碑面・形を照らし合わせています。創建年は分かっていません。
🗺 この地点を明治の地図で見る(今昔マップ on the web)
参考・出典
3件出典に基づいて掲載しています
- 現地確認(社号標・扁額・石碑の原寸判読)
現地撮影・2026-08-12 - 神明神社(尾平町)
三重県神社庁教化委員会 - 神前ふるさとマップ(2018年3月1日)
神前ふるさとマップ編集委員会
訂正履歴
公開後に内容を改めた箇所を、日付とともに記録しています。
- :参考・出典から、所在地の確認に使った個人サイトを外しました。紹介文の「三重県立四日市商業高校の南西にある」は、公式の資料で位置関係を確かめられなかったため削り、「四日市市尾平町の社叢」としました(町名は国土地理院の住所検索で確認)。
この場所について
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