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厄除け・方位の福

足の腱を切られた人が、足腰の神になった — 護王神社と、体を守る社

体の一部を守る神が各地にいるのは、抽象的なご利益より先に、実際にあったと伝わる出来事があるからです。京都の護王神社は和気清麻呂の切られた足が治ったという故事から足腰の守護神に、梅田の歯神社は洪水の「歯止め」が語呂で「歯痛止め」になりました。

2026-07-29 | 執筆・編集:福跡マップ編集部

「足腰の神様」「歯の神様」「腫れ物の神様」。

体の一部だけを担当する神が、日本にはあちこちにいます。なぜそんなに細かく分かれているのか、不思議に思ったことはありませんか。

並べてみると、共通点が見えてきます。

具体的な出来事から始まっています。 抽象的なご利益ではなく、「実際にこういうことがあった」という話が先にある。

いちばん分かりやすいのが、京都御所の西にある社でした。

社頭の看板「足腰の守護神 いのししの護王神社」
社頭の看板「足腰の守護神 いのししの護王神社」

足の腱を、切られた

護王神社(ごおうじんじゃ)の祭神は、和気清麻呂(わけのきよまろ)です。

鳥居の扁額「護王神社」
鳥居の扁額「護王神社」

護王神社の公式サイトは、事の顛末をこう伝えています。

奈良時代末の神護景雲3年(769年)。権勢をふるっていた僧・弓削道鏡が、「道鏡を天皇にせよ」という宇佐八幡の神託があったと主張しました。

清麻呂は称徳天皇の命で宇佐八幡へ赴き、その神託が偽物であったと報告します。

道鏡の野望は潰えました。そして——

道鏡によって足の腱を切られた上に九州の山奥に流刑となりました

報復です。歩けなくして、遠くへ流した。

300頭のいのししが現れた

話はここからです。公式サイトはこう続けます。

九州へ下る途中に道鏡の刺客が襲いかかるなど、険しい途次でしたが、突然山の中から現れた300頭ものいのししが清麻呂公を守って道案内しました

その後、清麻呂公が悩んでおられた足萎え(あしなえ)は不思議と治り、公は立って歩くことができるようになったと伝えられています

境内の説明板「和気清麻呂公と霊猪」
境内の説明板「和気清麻呂公と霊猪」

300頭。

この故事から、護王神社は足腰の守護神になりました。 境内には狛犬ではなく霊猪像(狛いのしし)が置かれ、「いのしし神社」とも呼ばれています。

境内の霊猪像(狛いのしし)
境内の霊猪像(狛いのしし)

順序が逆でないことに注意してください。「足腰にご利益がある」から祀られたのではなく、「足を切られて、治った人」だから足腰の神になった。

足形の石に、乗る

参拝の形も具体的です。

公式サイトによれば、本殿の右側、招魂樹(おがたまのき)のそばに「足萎難儀回復の碑(あしなえなんぎかいふくのひ)」があり、参拝者は足形の石の上に乗ったり、碑をさすったりして祈願します。

さらに——

足腰祭 毎月21日の午後3時に行われる足腰祭。参列者は本殿での祈願祭の後、表門前の御千度車を回し、足腰の大御守の下をくぐって足腰の健康安全を祈願します。(参列自由)

門に掛けられた大きな「足腰御守」
門に掛けられた大きな「足腰御守」

石に乗る。碑をさする。車を回す。守りの下をくぐる。

石に触れたり、御千度車を回したりする、体を使う祈願の形も紹介されています。ここが部位の神の特徴だと思います。

しかもこの人が、京都を作った

余談のようで、余談でない話を一つ。

護王神社の公式サイトによれば、桓武天皇が長岡京の造営に苦しんでいたとき、淀川上流の葛野(かどの)の地に新しい都を造ることを進言したのが、この清麻呂でした。

天皇はこれを聞き入れ、遷都します。

それが平安京、いまの京都です。 清麻呂は造宮大夫として建都にも力を尽くしました。

境内に立つ和気清麻呂公の銅像
境内に立つ和気清麻呂公の銅像

足を切られた男が復帰して、千年の都の場所を決めた。

ただし、神社が昔から御所の西にあったわけではありません。京都市上京区の案内によれば、清麻呂はその氏寺だった高雄の神護寺の小祠に祀られていて、明治19年(1886年)に現在の地へ移されました。清麻呂が都づくりに関わったことと、神社がこの場所へ移った歴史は、分けてたどる必要があります。

姉も、祀られている

もう一つだけ。この社は姉の和気広虫姫(わけのひろむしひめ)も主祭神として祀っています。

公式サイトによれば、天平宝字8年(764年)の藤原仲麻呂の乱の折、広虫姫は——

375人と、83人。

「他人の悪口を言うことがない」と天皇からも信頼された、と公式は伝えています。弟の足の話に隠れがちですが、私はこちらのほうに驚きました。

大阪の「でんぼの神さん」

大阪にも、部位の神として全国に名の通った社があります。東大阪の石切劔箭神社(いしきりつるぎやじんじゃ)、通称「石切さん」です。

「でんぼ(腫れ物)の神様」として、病気平癒の信仰を集めてきました。大阪観光局の公式サイトも、この通称と病気平癒の信仰を紹介しています。

有名なのはお百度参りです。本殿前と参道の百度石のあいだを、何度も往復する。その光景そのものが大阪の風物として知られてきました。

ここでも、体を使って祈っています。

ただし、「でんぼ」という語自体は、石切劔箭神社の公式サイトには見当たりませんでした(2026-07-29 確認)。公式が案内しているのは御加持・御祈祷・お百度参りといった信仰の実践のほうで、「でんぼの神様」という呼び名は、大阪観光局や各メディアが伝えているものです。

土地の人が付けた通称のほうが有名になっている、という例だと思います。石切さんの由緒自体は古く、貞観7年(865年)の『日本三代実録』に官位授与の記録が残ります。

境内の神霊池では、陶製の「祈亀(いのりがめ)」の腹中に願いを書いた紙を納め、池へ放つ作法が案内されています。

梅田には、歯の神様がいます

もう一つ、部位の神を。

梅田の歯神社です。

数百年前の大洪水のとき、地元が祀っていたお稲荷さんの巨石が水を「歯止め」して梅田の水没を防いだ。そこから歯止めの神となり、「歯止め」の語呂が転じて「歯痛止め」→歯神社になった、と公式が説明しています。

歯神社の由緒板。淀川の決壊をこの付近で「歯止め」したことから崇拝された、とある
歯神社の由緒板。淀川の決壊をこの付近で「歯止め」したことから崇拝された、とある

こちらは言葉が先でした。出来事(洪水を止めた)→ 呼び名(歯止め)→ 語呂(歯痛止め)→ 部位(歯)。

部位の神は、抽象的ではない

三つを並べると、はっきりします。

社部位始まり
護王神社(京都)足腰和気清麻呂の足の腱が切られ、治った
石切劔箭神社(東大阪)腫れ物古社への病気平癒の信仰+お百度参り
歯神社(大阪・梅田)歯巨石が洪水を「歯止め」した→語呂で歯痛止めへ

どれも、抽象的な「健康祈願」から出発していません。

実際にあった(と伝わる)出来事があり、それが体の一部と結びついた。護王神社や石切劔箭神社では、参拝の形も石に乗る・百度を踏むといった具体的なものになった。

信仰が具体的であるほど、長く残る。 かなり確かなことだと思います。

場所とデータは護王神社、石切劔箭神社の各ページにまとめています。

現地の説明板「足萎難儀回復の碑と神足石」。右奥に足形の刻まれた石
現地の説明板「足萎難儀回復の碑と神足石」。右奥に足形の刻まれた石

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この記事の場所のそばにある福

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参考・出典

6件出典に基づいて掲載しています

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