木・森の福
残った木と、残った水 — 新熊野神社の大樟と、京都三名水「染井」
樹齢450年の御神木が倒れた話を、先日書きました。樹木医が診て、支柱を入れて、それでも倒れた——「残る」ことは当たり前ではない、という話です。
今日はその続きとして、残っているほうの話を書きます。八百年残った木と、京都三名水でただ一つ湧き続けている水です。
新熊野神社の大樟 — 熊野から来て、八百年
東山区の新熊野神社(いまくまのじんじゃ)は、京都市の観光公式サイトによれば永暦元年(1160年)、後白河上皇が平清盛に命じて創建した社です。
面白いのは、その作り方でした。熊野から土砂や材木を運んで社域を築き、熊野の神を勧請した。つまり、熊野を京都に「移築」したわけです。上皇は熊野詣を三十回以上重ねたことで知られますが、往復一月の旅を思えば、京都に熊野そのものを持ってきたかった気持ちは分かります。
境内の大樟(おおくす)は、その創建のときに熊野から移植された、上皇お手植えの木と伝わります。「影向(ようごう)の大樟」——神が姿を現す木、という呼び名を持ち、樹齢は約800年、京都市指定天然記念物です。
方違神社のくろがねもちや杭全神社の大楠と同じく、行政の指定を受けた「数字に裏づけのある巨樹」です。そして、糺の森のツブラジイが倒れたいまとなっては——八百年立ち続けていること自体が、途方もない偶然と手入れの積み重ねだと分かります。
もう一つ、この境内は能楽の聖地でもあります。応安7年(1374年)、観阿弥・世阿弥の父子がここで猿楽を演じ、それが足利義満の目に留まって能楽の大成につながった——と京都市の観光公式が記しています。文楽が神社の境内から生まれた大阪と同じで、芸能の始まりの場所には、たいてい木と社があります。
梨木神社の染井 — 三つのうち、一つだけ残った
もう一つの「残ったもの」は、水です。
京都御所の東隣、梨木神社(なしのきじんじゃ)。明治18年(1885年)創建、明治維新の功労者・三條実万(さねつむ)・実美(さねとみ)父子を祀る、萩の名所として知られる社です。
その手水舎に湧くのが、御神水「染井(そめい)」。
京都三名水——醒ヶ井(さめがい)・県井(あがたい)・染井——のひとつに数えられてきた水で、神社の公式サイトはこう記しています。
いまだ枯れずに現存する唯一の名水
三つのうち、二つはもう枯れている。 残っているのは染井だけです。
名前の由来には、この地にあった藤原良房の邸「染殿第」によるとする説や、宮中の染所で用いられたとする説があります(公式サイトが複数説を併記しています)。染物に使われた水だとすれば、京都の名水めぐりの記事で見た「酒・茶・墨」に続く、「水そのものが素材になる仕事」の第四の例です。
「残る」は、選ばれた結果ではない
並べてみます。
| 残ったもの | 残らなかったもの | |
|---|---|---|
| 木 | 新熊野の大樟(800年) | 糺の森のツブラジイ(450年で倒木) |
| 水 | 梨木神社の染井 | 京都三名水の他の二つ(枯渇) |
| 水(大阪) | 御香水・亀の井(保存会が維持) | 安居神社の「安井」(枯渇と由緒略記に明記) |
残った木と枯れた木、湧き続ける水と涸れた水。その差は、ご利益の強さではありません。 地下水脈の偶然、都市化の度合い、そして手入れをし続けた人がいたかどうか。
だからこそ、いま残っているものの前に立つ価値があります。八百年の木も、湧き続ける名水も、「まだ残っているうちに見た」という事実は、あとから買えないからです。糺の森の一件は、それを教えてくれました。
場所とデータは新熊野神社 大樟、梨木神社 染井の各ページにまとめています。
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