現地レポ
平野郷と杭全神社を歩いてきました — 環濠都市の名残と、樹齢一千年と伝わる大楠
大神神社を参拝した日の続きです。東大阪市で用事を済ませたあと、車で向かったのは平野区。平野郷と呼ばれる場所に、いまなお歴史を感じさせるものが残っていると知って、寄ってみることにしました。
「こんな街なかにあるの?」
Googleマップに目的地を入れて走っていくと、ずっと街なかを走り続けます。正直、「こんな街なかにあるの?」と思いました。もう少し辺鄙な場所を想像していたからです。
着いてみたら、本当に街なかでした。


隣には小学校や公園もあります。
あとで調べて納得しました。平野郷は、町のまわりに濠をめぐらせた環濠都市で、人びとがその中で暮らしてきた場所。つまり、暮らしの真ん中にあって当然なのでした。

歩いていると、昔の堀や門の名残を確認できます。


鳥居をくぐると、圧倒的な大楠
鳥居をくぐると、まず目に飛び込んでくるのが巨大なご神木です。

圧倒的な大きさ。圧巻です、これは。
写真を撮ったらちょうど日差しが差し込んで、すごく神秘的な雰囲気で撮れました。
この大楠は樹齢800年とも1000年とも伝えられ、大阪府の天然記念物に指定されています。詳しくは杭全神社の御神木(大楠)のページへ。
その先にあるのが、杭全神社


杭全と書いて「くまた」と読みます。初見ではまず読めない名前です。由緒は古く、公式サイトによれば貞観4年(862年)、坂上田村麿の孫にあたる坂上当道が、素盞嗚尊を祀る祇園社を創建したのが始まり。田村麿の子・広野麿がこの杭全荘を領地として賜り、居を構えた土地だそうです。
「いまが2026年だから、およそ1160年か。すごいな……」
そんなことを考えながら、境内を進みます。
ちなみにこの神社、公式サイトによれば「全国唯一の連歌所」が残ることでも知られています。連歌は複数人で句を継いでいく座の文芸。しかも平成11年からはインターネット上に連歌の掲示板を開いていて、誰でも書き込めるそうです。1160年の歴史と、令和のネット連歌が同居している。面白い神社です。

入ってすぐのところには、龍の置物。手水舎で手を清めて、いざ拝殿へ。
お参りと、久しぶりの大吉
本殿でお礼をしてから、せっかくなのでおみくじを引いてみました。


なんと大吉でした。これは縁起が良い。あまり大吉を引いたことがなかったので、素直に嬉しかったです。
御朱印帳に御朱印もいただきました。授与所には、マスコット「くまたん」のイラスト入り御朱印も並んでいて、格式ある神社の中のゆるさに、少し和みます。
授与所で伺った、信長と平野郷の話
御朱印をいただくとき、少し話も聞いてみました。
平野郷は戦国時代、堺と並んで栄えた町で、独自のルールを定めて商業都市として発展したのだそうです。織田信長が天下統一を目指した際には、平野郷の経済力に目をつけて矢銭——軍資金——を求め、郷はこれを納めて町を守ったという話も残っているとのことでした。
濠をめぐらせ、自分たちの町を自分たちで守ってきた場所。歩いてきた街並みの見え方が、少し変わります。
最後に、ご神木に一礼して神社を後にしました。
あとで知った「垂乳根いちょう」
帰ってから公式サイトの境内図を見ていて、気づいたことがあります。境内に「垂乳根(たらちね)いちょう」という名の木があるのです。
垂乳根は「母」にかかる枕詞。このイチョウには母乳や乳の健康にまつわる信仰を伝える紹介もあるようですが、公式サイトに由緒の説明は見当たりませんでした。次に訪れるときは、この木も探してみようと思います。
いろいろな授かりものを頂戴して、歴史も知ることができる場所でした。この日はこのあと、歩いてもいける距離にある古いお寺へ向かいました。その話は次の記事で書きます。
参考・出典
- 杭全神社について – 杭全神社
kumata.jp - 杭全神社 – 杭全神社(くまたじんじゃ)は、全国唯一の連歌所と、だんじり祭で有名な大阪市平野区の神社です。
kumata.jp - city.osaka.lg.jp
- 大阪市平野区:平野コース(約4.8キロメートル) (平野区の紹介>区の歴史・魅力)
city.osaka.lg.jp - 杭全神社(くまた神社)|大阪平野の重文社殿と巨樹のパワースポット
osaka-info.jp