▶ 開運カレンダーへ 🗺 福跡マップをひらく
神社の教養

「文楽」につながる一座は、神社の境内を渡った — 難波神社と御神木の楠

難波神社は「文楽座」の名が生まれた場所ではなく、その名を名乗る前の植村文楽軒の一座が境内で興行した場所です。「文楽座」を名乗ったのは1872年に松島へ移ってからだと、国立劇場の解説は記しています。境内の御神木の楠は、神社が樹齢400年以上・大阪市指定保存樹の第一号と案内しています。

2026-07-29 | 執筆・編集:福跡マップ編集部

「文楽」という呼び名は、文楽座に由来します。

大阪観光局の公式サイトは、1811年(文化8年)に植村文楽軒が難波神社の境内で人形浄瑠璃の小屋を開いたと紹介しています。

一方、国立劇場の公式解説は、初代植村文楽軒が19世紀初頭に高津で小屋を開き、その後、稲荷神社(現在の難波神社)境内へ移ったと記します。そして一座が1872年に松島へ移転した際、初めて「文楽座」と名乗ったと説明しています。

難波神社は「文楽座」の名が生まれた場所ではありません。名を生む前の一座が興行した、重要な場所でした。

大阪観光局の公式サイトと国立劇場の公式解説が、植村文楽軒の小屋についてそれぞれ記す内容を並べた図です
大阪観光局の公式サイトと国立劇場の公式解説が、植村文楽軒の小屋についてそれぞれ記す内容を並べた図です

一座は、境内から松島へ、再び境内へ

面白いのは、その移動です。

時期場所・出来事原典
19世紀初頭高津で小屋を開き、その後、現在の難波神社境内へ移る国立劇場
1811年難波神社境内で植村文楽軒が小屋を開いたと紹介大阪観光局
1872年松島へ移り、初めて「文楽座」を名乗る国立劇場
1884年御霊神社境内へ移る国立劇場
現在国立文楽劇場—

境内から松島へ、そして再び境内へ。 名は松島で生まれましたが、その前後で神社の境内が一座の舞台を支えました。

大阪観光局によれば、文楽軒が九条の新地へ移った後、難波神社境内には「彦六座」が開かれました。詳しくは文楽の劇場は、神社の境内にあったにまとめています。

芝居小屋が神社にあるのは、人が集まり、日常と異なる時間を過ごす場だったからでしょう。大阪の芸能——落語も浄瑠璃も——と寺社の境内の近さが、移動の履歴から見えてきます。

江戸時代、境内の稲荷のほうが有名だった

もうひとつ、この社には逆転があります。

大阪観光局の公式サイトによれば、江戸時代に稲荷信仰が盛んになるにつれ、本社よりも境内の末社である稲荷神社のほうが有名になりました。

通称は「博労町(ばくろまち)のおいなりさん」。いまも本社の西側に博労稲荷神社があります。

本社を差し置いて末社のほうが知られる、という現象は珍しくありません。堀川戎神社の地車稲荷も、独自の信仰で名が通っています(「願いが叶うと地車ばやしが聞こえる」と伝わる稲荷)。

人は格式ではなく、自分の願いに合う神のところへ行く。 末社が有名になるのは、その素直な結果です。

ここも、大坂城築城で動いた社

公式サイトによれば、難波神社は反正天皇が大阪府松原市に柴籬宮(しばがきのみや)を開いたとき、父帝の仁徳天皇を祭神として創建されたと伝えられます。ご祭神は仁徳天皇、配祀に素盞嗚尊。

その後、天王寺区上本町へ遷り——豊臣秀吉が大坂城を築城したのち、天正年間(1583年)に現在地へ遷座しました。

柴籬宮での創建から天王寺区上本町を経て、天正年間(1583年)に現在地へ遷座するまでの流れを示した図です
柴籬宮での創建から天王寺区上本町を経て、天正年間(1583年)に現在地へ遷座するまでの流れを示した図です

またしても、です。大坂城築城で動いた社は、この社だけではありません。

社何が起きたか
坐摩神社天正10年に替地を命じられた
生國魂神社・高津宮天正11年に移された
難波神社天正年間に現在地へ遷座
玉造稲荷神社社域の多くが三の丸・城下町として整備された
大阪城豊國神社昭和36年に後から入った

父の仁徳天皇を祀るこの社と、仁徳天皇の宮の跡に建てられた高津宮。どちらも同じ天皇にゆかりがあり、どちらも秀吉に動かされています(高津宮の縁切坂と相合坂)。

社殿は焼け、楠は残ったと伝わる

そして昭和です。

難波神社の公式サイトによれば、昭和20年(1945年)の大阪空襲で全焼した後は仮宮によって祀られ、昭和49年(1974年)7月に現在の社殿が再建されました。

本社殿を失った二十九年間も、祭祀の場までなくなったわけではありませんでした。

昭和20年(1945年)の大阪空襲で全焼し、仮宮で祀られ、昭和49年(1974年)7月に再建されるまでを年表にした図です
昭和20年(1945年)の大阪空襲で全焼し、仮宮で祀られ、昭和49年(1974年)7月に再建されるまでを年表にした図です

境内には御神木の楠があります。神社の公式サイトは、この楠を樹齢400年以上・幹3.2メートル・高さ12メートルで、大阪市指定保存樹の第一号と案内しています。大阪市中央区のガイドは、幹回りを4.3メートルとし、戦火で火傷を負いながら生き続けている木と紹介しています。

幹の数字は資料によって違い、いつ測ったかは書かれていません。

木は確かにそこにあります。

七月二十日と二十一日、氷が配られる

大阪観光局の公式サイトによれば、毎年7月20日・21日の夏祭りは「氷室祭(ひむろまつり)」といい、参拝者にカチワリ氷が配られます。この氷を食べると夏負けしないと言われている、とのことです。

冷蔵庫のなかった時代、夏の氷は貴重品でした。氷室から運んだ氷を口にすることが、そのまま夏を越す力になると考えられていた。

大阪の夏祭りの並びで言えば、6月末の愛染まつりで開き、7月20・21日にこの氷室祭、24・25日に天神祭、そして住吉祭で送る。ちょうど天神祭の直前にあたります。

6月末の愛染まつりから氷室祭、天神祭、住吉祭へと続く大阪の夏祭りの並びを示した図です
6月末の愛染まつりから氷室祭、天神祭、住吉祭へと続く大阪の夏祭りの並びを示した図です

社殿が焼けた後も仮宮で祀り、二十九年後に再建され、いまはオフィス街の真ん中で氷を配っている。「文楽」につながる一座が興行した場所は、そういう社です。

場所とデータは難波神社の楠(御神木)のページにまとめています。


全国の、福が伝えられている場所を地図で探せます。→ 福跡マップで見てみる

この記事の場所のそばにある福

坐摩神社の周りに、ほかにどんな福があるでしょうか。

坐摩神社のまわりをひらく →

参考・出典

6件出典に基づいて掲載しています

訂正履歴

公開後に内容を改めた箇所を、日付とともに記録しています。

この記事について

この記事の社寺や行事について、知っていることを教えてください。

本サイトは寺社・御神木等の由緒と信仰を根拠ラベル付きで紹介するものであり、ご利益・効果を保証するものではありません。 参拝の際はマナーを守り、各社寺の定めに従ってください。誤りのご指摘・削除依頼は運営までご連絡ください。