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一陽来復とは — 冬至に陽が兆す言葉と、穴八幡宮のお守りのまつり方

一陽来復とは、陰が極まって陽がふたたび兆すことを指す易の言葉で、暦では冬至をいいます。東京・穴八幡宮の一陽来復御守は冬至から節分まで頒布され、冬至・大晦日・節分のうち一日を選び、日付が変わる瞬間に恵方へ向けて壁や柱にまつるよう案内されています。

2026-09-15 | 執筆・編集:福跡マップ編集部

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一陽来復とは — 冬至に陽が兆す言葉と、穴八幡宮のお守りのまつり方 まんが解説 1ページ目一陽来復とは — 冬至に陽が兆す言葉と、穴八幡宮のお守りのまつり方 まんが解説 2ページ目一陽来復とは — 冬至に陽が兆す言葉と、穴八幡宮のお守りのまつり方 まんが解説 3ページ目一陽来復とは — 冬至に陽が兆す言葉と、穴八幡宮のお守りのまつり方 まんが解説 4ページ目一陽来復とは — 冬至に陽が兆す言葉と、穴八幡宮のお守りのまつり方 まんが解説 5ページ目一陽来復とは — 冬至に陽が兆す言葉と、穴八幡宮のお守りのまつり方 まんが解説 6ページ目一陽来復とは — 冬至に陽が兆す言葉と、穴八幡宮のお守りのまつり方 まんが解説 7ページ目

まんがの内容は下の本文(出典つき)をもとに構成しています。

一陽来復(いちようらいふく)とは、陰が極まって陽がふたたび兆すことを指す、易(えき)から来た言葉です。暦の上では冬至のことをいい、そこから転じて「悪いことが続いたあと、物事が良い方へ向かうこと」の意味でも使われます。

そして、この言葉をそのまま名前にしたお守りがあります。東京・早稲田の穴八幡宮が、毎年の冬至から節分まで頒布している「一陽来復御守」です。検索で一陽来復が多く調べられるのは、この二つが重なっているためです。

言葉としての一陽来復

まず、言葉の成り立ちからです。

四字熟語を知る辞典は、由来をこう解説しています。

このことばは、易学では、十月は陰の最盛期で陽がなく、陰暦の十一月、冬至の日に一つ陽が来てまたもとに復していくところからいいます。

小学館の日本大百科全書も、暦の側から同じことを説明しています。

万物の生成を陰と陽の二気に分ける考え方から、冬至をいう。夜を陰、昼を陽として1年を立春から大寒までの二十四節気に分けると、冬至が陰の極点となる。したがってこの日から陽がふたたび増してくることになる。古くはこの日を一陽来復または一陽嘉節(かせつ)として祝った。

陰が底を打つ日であって、いちばん寒い日のことではありません。 ここが一陽来復という言葉のおもしろいところです。昼が最も短い日を「これから陽が増えていく折り返し」と読み替えたのが、この四字です。

平凡社の改訂新版 世界大百科事典(執筆・三浦国雄氏)は、語のもとを『易経』の復(ふく)の卦(か)に求めたうえで、昔の中国の過ごし方にも触れています。

この冬至の日,旧中国では仕事を休み,徹夜したり赤豆の粥を作ったり酒宴を設けたりして,万物のよみがえりを祝った。

いまの日本語としては、デジタル大辞泉が三つの意味を挙げています。一つめが「陰暦11月。または、冬至」、二つめが「冬が去り春が来ること。新年が来ること」、そして三つめがこれです。

悪いことが続いたあと、ようやく物事がよい方に向かうこと。

年賀状や、区切りの挨拶で見かけるのは、たいていこの三つめの意味です。

デジタル大辞泉が挙げる一陽来復の三つの意味を並べた表です
デジタル大辞泉が挙げる一陽来復の三つの意味を並べた表です

冬至は、いつか

次に、暦の側です。

冬至は二十四節気の一つで、国立天文台の暦計算室は「十一月中/太陽黄経270°」と定め、内容を「昼が一年中で一番短くなる」と説明しています。同じ解説は、節分を「立春の前日。季節の分かれめのことで、もとは四季それぞれにあった。」と定義しています。冬至も節分も、日付が先に決まっているのではなく、太陽の位置から毎年決まります。

国立天文台が発表する暦要項で確かめると、次のとおりです(2026年9月15日確認)。

暦の日日付中央標準時
冬至(令和8年・2026年)12月22日5時50分
節分(令和9年・2027年)2月3日—
立春(令和9年・2027年)2月4日10時46分

令和8年(2026)の暦要項は令和7年2月3日に、令和9年(2027)の暦要項は令和8年2月2日に、それぞれ国立天文台から発表されています。翌年の分が前の年の2月に出る、という仕組みです。

暦の吉日のほうに関心のある方は、10月1日は「天赦日」と「一粒万倍日」が重なる日に、この冬までの重なりを一覧にしています。

冬至から節分までのおよそ六週間を時間軸で示した図です。冬至、大晦日、節分の三日と、頒布の期間を並べています
冬至から節分までのおよそ六週間を時間軸で示した図です。冬至、大晦日、節分の三日と、頒布の期間を並べています

穴八幡宮の一陽来復御守

ここから、お守りの話です。

穴八幡宮は東京都新宿区西早稲田に鎮座する社で、御祭神は應神天皇・仲哀天皇・神功皇后と公式サイトに記されています。場所は穴八幡宮のスポットページにまとめました。

頒布の期間

公式サイトの案内は、一行です。

毎年12月冬至の日から2月節分の日まで

よくある質問のページには、もう少しはっきりした言い方で載っています。

毎年12月の冬至から2月の節分まで頒布しております。
冬至よりも前、節分よりも後にはお出しする事ができません。

上の表のとおり、この冬の冬至は12月22日、次の節分は2027年2月3日です。ただし神社は年ごとの日程を公式サイトで案内していますので、出かける前にそちらもご覧ください。

「金銀融通の御守」という呼び名

由緒については、公式ページにこう記されています。

穴八幡宮の一陽来復御守は、江戸中期より年々冬至の福神祭に授与された独特のものであり、金銀融通の御守とも呼称されております。

同じページは、冬至の祭を行う社寺は各地にあるとしたうえで、当社の一陽来復御守を「他に類例の無い全国唯一のもの」と記しています。

まつる日と、時刻

公式サイトは、まつる日をこう案内しています。

『冬至(例年12月22日前後)・大晦日(12月31日)・節分(例年2月3日前後)』
この三日の内で御自身の都合のよろしい日を選び、その日が終わる夜中12時(0時)ちょうどにおまつり下さい。

時刻について、よくある質問のページに補足があります。

何分何秒とは考えず、あくまでも『日付が変わる瞬間』に壁や柱へお祀りください。

その年の暦によって冬至と節分は前後しますので、御守と一緒に渡される説明書を確かめるように、と神社は添えています。

冬至・大晦日・節分の三日の内の一日を選び、日付が変わる瞬間にまつる手順を示した図です
冬至・大晦日・節分の三日の内の一日を選び、日付が変わる瞬間にまつる手順を示した図です

まつる向きと、恵方

まつる向きは「恵方」です。公式サイトは、部屋の中心から、御守と一緒に渡される説明書に記された恵方へ「一陽来復」の文字が向くように、と案内しています。

国立天文台の暦要項には二十四節気と雑節(節分を含みます)は載っていますが、恵方の方角は見当たりませんでした(2026年9月15日確認)。その年の恵方は、御守と一緒に渡される説明書に記されています。

方角そのものを気にする風習には、別の答え方もありました。堺の方違神社に伝わる方違えの話は方角が悪いなら、いったん別の方向へに書いています。

貼り方の注意

公式サイトは、貼り方にも細かく触れています。

和のりなどの接着剤で、台紙などは使用せず『壁や柱に直接』おまつりください。

よくある質問のページには、糊の選び方の理由も出ています。

御守自体は和紙でできておりますので『和のり』か『和紙で使える糊』をお使いください。普通の両面テープですと剝がれてしまう事も多くお聞きしますのでご注意ください。

画鋲で刺すこと、御守の上からテープで壁に押さえつけることは、行わないように、と公式ページは強く戒めています。中身についてもこう記されています。

冬至祭でお供えした神饌が収められておりますので、破いたりして中を検めないでください。

落ちてしまった場合や、途中で転居する場合は、白い半紙や封筒に包んで社務所へ納めるよう案内されています。お守りやお神札の扱いについてはお守りの扱い方とお神札はどこに置けばいいのかにも整理しました。

和のりで壁や柱に直接まつること、画鋲やテープで押さえつけないこと、落ちた場合の納め方を並べた図です
和のりで壁や柱に直接まつること、画鋲やテープで押さえつけないこと、落ちた場合の納め方を並べた図です

郵送は行われていません

検索していると、郵送で受けられるという話に行き当たることがあります。神社の答えは、はっきりしています。

できません。御守や御札を受ける事において神様への御挨拶である参拝は非常に大事なことであるのと、不特定多数の手に触れられる郵送というものは避けたいので行っておりません。
ネット等で書かれている場合は全てデマなのでご注意ください。

もう一つ、よく出回っている話にも神社は答えています。他所で頒布している同名の御守との関係を問われて「一切ありません」と記したうえで、他の社のお守りと並べると運気が上がる、お守りに上下をつける、といった話は当社の神職が述べているものではない、としています。そして、こう結んでいます。

他社の御守はまた違う神様に見守っていただいているとお考えいただきそれぞれの神様を大切に一年間御過ごしいただければと存じます。

お守りを人に贈るときの考え方はお守りは人に贈ってもいい?にまとめています。

「すごい」と言われることについて

一陽来復御守は「すごい」という言葉と一緒に検索されています。その気持ちは自然なものだと思います。

ただ、資料で確かめられるのは、どなたの願いがどうなったかという体験談ではなく、年代のほうです。

新宿区史年表には、江戸時代の出来事として次の一行が載っています。

享保13(1728)年 八代将軍吉宗、世継ぎの病気平癒祈願として穴八幡宮に流鏑馬を奉納

自治体の年表に残っているのは、この社が江戸の町でどう遇されていたかという記録です。神社に伝わる由緒としては、康平五年(1062年)に源義家が兜と太刀を納めて八幡宮を勧請したこと、寛永十八年(1641年)に山裾から神穴と金色の御神像が現れたことから穴八幡宮と称されるようになったことが、公式サイトに記されています。

康平五年(1062年)、寛永十八年(1641年)、享保13(1728)年の穴八幡宮の記録を並べた年表です
康平五年(1062年)、寛永十八年(1641年)、享保13(1728)年の穴八幡宮の記録を並べた年表です

年間行事のページには「十二月 冬至 冬至祭」と載っています。冬至の祭は、いまも続いている行事です。

参拝の前に

所在地は東京都新宿区西早稲田2-1-11です(2026年9月15日に公式サイトで確認)。時間や当日の案内は変わることがありますので、出かける前に公式サイトをご覧ください。

ひとつ、覚えておくと良いことがあります。この期間、御朱印はお休みです。

一陽来復御守頒布期間(冬至から節分)を除き行っております。

御朱印を目当てに冬至から節分の間に出かけると、行き違いになります。御朱印そのものについては御朱印とは何かに、参拝の作法は参拝の基本作法に書きました。

冬至から節分までの、およそ六週間

一陽来復御守の頒布期間は、冬至に始まって節分で終わります。年末年始をまるごと含む、およそ六週間です。

その終わりの日である節分に、鈴の音でその年を占う神事が続いている社が、福跡マップにもあります。堺の蜂田神社(鈴の宮)です。毎年2月の節分に、12種の土鈴の音色でその年の吉凶を占う鈴占(すずうら)神事が行われていると、堺市中区の公式ページが紹介しています。

年の初めの行き先に迷っている方は、初詣はどの神社に行けばいい?もあわせてどうぞ。

おわりに

一陽来復という言葉が指しているのは、いちばん明るい日ではありません。いちばん暗い日を、折り返しとして数え直す、という考え方のほうです。

昼が最も短い日に「ここから陽が増えていく」と名前をつけた人たちがいて、その言葉が千年以上使われ続けている。冬至の日に、そのことだけでも思い出せると良いですね。


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参考・出典

10件出典に基づいて掲載しています

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