現地レポ
住吉公園と高灯籠 — このあたりは、海だった
住吉大社とまわりの社を歩いたあと、西へ向かいました。目当ては住吉公園と、地図で見つけて気になっていた「高灯籠」です。
公園までの道で
住吉大社から公園へ歩く途中、路面電車の線路を渡ります。大阪に残る唯一の路面電車、阪堺電車です。ちょうど電車が来たので撮りました。
道ばたにお地蔵様が多いのも、このあたりの特徴だと思います。そのうちの一つには「親子地蔵」の幟が立っていました。

住吉公園 — 明治6年からの公園
南海の住吉大社駅を挟んで、住吉大社のちょうど西側が住吉公園です。駅を降りたらすぐ入口。かなり広くて、この日は食べ物の屋台も出ていました。

案内板のパンフレット紹介によると、開設は1873年(明治6年)。日本で最初期の公園のひとつだそうです。
入口近くに、松尾芭蕉の句碑がありました。

升買て分別かはる月見かな
刻まれているのはこの句です。あとで調べると、芭蕉が住吉大社の宝の市で升を買った折の句だと伝わるようです。
汐掛道 — 名前に海が残っている
公園の真ん中を、東西にまっすぐな一本道が通っています。案内図には「汐掛道(しおかけみち)」とありました。

歩くと、すごく風が通って、めちゃくちゃ気持ちよかったです。松並木の影が落ちて、直線の先が明るい。この日いちばん歩いていて気持ちのいい道でした。
道の途中に、ガラス面に歌を刻んだ板が立っています。日に透けて薄くなっていて読みづらいのですが、目を凝らすと万葉集の歌でした。

すみのえの 粉浜のしじみ 開けも見ず こもりにのみや 恋ひ渡りなむ — 万葉集 読人知らず
住吉の「粉浜のしじみ」を詠んだ恋の歌です。しじみが採れた、ということは、ここは水辺だったということです。
池のそばでは白い鳥が水に立っていました。何の鳥だろうと思いながら撮りました。サギの仲間だと思います。

「花野の小道」という秋の七草の一角もありました。秋に来たら良さそうです。
高灯籠 — 探していたものは、公園の外にあった
実はこの日、住吉大社のあたりからずっと「高灯籠」を探していました。境内の東で「住吉神宮寺跡」の碑を見つけたときも、最初は「これかな?」と思ったくらいで、なかなか見つからない。
見つけたのは、公園の駅と反対側の出口を出たときです。道を挟んだ先に、いました。

めちゃくちゃでかいです。一発でわかります。今まで探していたのは何だったのかというくらい、はっきりそこにあります。下から見上げると、ものすごく高い。10メートルくらいはありそうです。

台座の刻銘板「高燈籠復元の記」(住吉名勝保存会・昭和49年)に、この灯籠の来歴がまとまっていました。要点はこうです。
- 昔このあたりは白砂青松の海浜で、高燈籠はいつの頃からか住吉の社への献燈のため建てられた
- 数ある燈籠の中で最高最大のもので、その光は海路を照らし、舟人の目当てとなって燈台の役目を果たした
- 寛政年間の「攝津名所図会」には、闇夜に方角を失った夜走りの船の頼りになった、という趣旨の記述がある
- もとの高燈籠はここより二百メートル西にあった。戦後の台風で木造の上部が解体され、昭和47年には道路拡張で基壇の石積も撤去された
- いまの高燈籠は、住吉名勝保存会が寄附を集めて昭和49年にこの地に復元したもの
つまり、これは海に向かって立っていた灯台です。いまは周りをぐるりと住宅と道路に囲まれていて、海はどこにも見えません。もとの場所はここよりさらに200メートル西。埋め立てで海岸線がどれだけ遠ざかったかが、この灯籠一本から逆算できます。
万葉集のしじみの歌、汐掛道という名前、白砂青松だったという刻銘。ばらばらに見ていたものが、この灯籠の前で全部つながった気がしました。
これから行く方へ
- 住吉公園は南海「住吉大社駅」の西側すぐ。住吉大社とセットで歩くのがおすすめです
- 高灯籠は公園の南西の外、道を挟んだ先にあります。公園内をいくら探しても見つからないのでご注意を(私は1時間近く探しました)
- 阪堺電車の「住吉鳥居前」駅も近く、路面電車の写真を撮るならこのあたりです

次の記事では、夕方に訪ねた止止呂支比賣命神社——若松御所と力士の手形の話を書きます。
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参考・出典
- 高灯籠の現地刻銘「高燈籠復元の記」(財団法人住吉名勝保存会・昭和49年)
- 住吉公園の現地案内図・汐掛道の万葉歌碑(2026-08-14 現地確認)