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「願いが叶うと地車ばやしが聞こえる」と伝わる稲荷 — 堀川戎神社

堀川戎神社の境内の榎木神社(地車稲荷)では、願いが叶うとその夜に地車ばやしが聞こえると言われてきた、と公式サイトは記しています。神の使いは狐ではなく狸で、お礼には狸が地車を曳く絵馬が奉納され、昭和33年に再建された本殿も地車の形をしています。

2026-07-29 | 執筆・編集:福跡マップ編集部

堀川戎神社の境内に、少し変わったお稲荷さんがあります。

神の使いが、狐ではなく狸です。

公式サイトによれば、願い事が叶うと、その夜に「地車ばやし」が聞こえると言われてきました。

2026年8月6日撮影。堀川戎神社の境内に建つ榎木神社です。朱の鳥居に「榎木神社」の扁額が掛かり、太い注連縄が渡されています。右手には「地車稲荷神社」と記した赤い提灯が下がっています。
2026年8月6日撮影。堀川戎神社の境内に建つ榎木神社です。朱の鳥居に「榎木神社」の扁額が掛かり、太い注連縄が渡されています。右手には「地車稲荷神社」と記した赤い提灯が下がっています。

榎の大木に、神が宿ると考えた

摂社の榎木神社(えのきじんじゃ)、通称「地車(だんじり)稲荷」の話です。

公式サイトによれば、慶長3年(1598年)に掘られた天満堀川の堀止めの横に、榎の大木がありました。いつの頃からか人々は自然に、その木に神霊——句句廼知神(くくぬちのかみ)——が鎮まっていると考え、根元に祠を作ります。

句句廼知神は木の神です。大きな木があり、そこに神がいると感じ、祠を置く。信仰の始まりとして、これ以上ないほど素朴な形です。

榎木神社の脇に立つ、しめ縄を巻いた大木
榎木神社の脇に立つ、しめ縄を巻いた大木

そして天保9年(1838年)、それまで堀止めだった天満堀川が大川まで延長されて通水した際、役所から榎木神社設立の命令があり、約15坪の土地を得ます。翌天保10年(1839年)、天満堀川両岸12ヶ町の協力で本殿と拝殿が造営されました。

このとき、堀川戎神社の末社である稲生神社の別魂(宇賀御魂神)が合祀されます。木の神とお稲荷さんが一つの社になった、ということです。

宇賀御魂神は稲荷の正式な神名です。詳しくは歯神社の記事「歯止め」が「歯痛止め」になったにあります。

お使いは狸、そして地車の音

ここからが独特です。

公式サイトは、はっきりこう記しています。榎木神社は、俗に神さまのお使いが狐ではなく狸(たぬき)という独特の信仰がある、と。

「地車稲荷」の通称は、江戸時代より「地車吉兵衛稲荷」の名とともに関西一円に名高く——

古くから願い事が叶えられると、その夜「地車ばやし」が聞こえると言われています

「地車ばやし」は、だんじり(地車)を曳く祭りで奏でられる囃子のことです。

願いが叶ったお礼には、小さな地車の模型や、狸が地車を曳く図柄の絵馬を奉納する方が大勢おられる、とも記されています。

社殿そのものが、地車の形をしている

榎木神社は明治40年(1907年)の神社合併政策で堀川戎神社の境内へ移され、昭和20年(1945年)の戦災で焼失しました。

再建されたのは昭和33年(1958年)。公式サイトによれば、そのとき建てられたのは——

他に類を見ない地車の構造をした彩色欅造りの本殿

社殿が、だんじりの形をしているのです。

通称の「地車稲荷」、願いが叶った夜に聞こえるという地車ばやし、狸が地車を曳く絵馬、地車の構造をした本殿。榎木神社には、地車にかかわるものが四つそろっています。

本社は「キタのえべっさん」

公式サイトによれば、堀川戎神社の創祀は欽明天皇の御代(539〜571年)。止美連吉雄(とみのむらじよしお)が蛭子大神の神託を受け、堀江で玉を得て、それを御霊代として蛭子大神を富島に祀り、瓊見社・止美社と名付けたのが始まりと伝えられています。

社号標「堀川戎神社」と朱の鳥居
社号標「堀川戎神社」と朱の鳥居

その後、白雉2年(651年)に少彦名命、大宝3年(703年)に天太玉命が加わり、御祭神三座となりました。平治の乱(1159年)を避けて丹波国山家へ動座し、文和年間(1352〜55年)に現在地へ遷座再興しています。

江戸時代中期から十日戎が年々盛大になり、「ミナミの今宮、キタの堀川」と並び称されました。ミナミの今宮戎についてはえべっさんは、寺を守る神として祀られたにまとめています。

なお少彦名命は、道修町の少彦名神社、梅田の露天神社でも祀られています。大阪の中心部で、この神は繰り返し現れます。

2026年8月6日撮影。堀川戎神社の拝殿です。朱塗りの柱に緑青色の屋根が載り、軒下に「堀川戎神社」と記した提灯が左右一対で下がっています。背後には高層の建物が並んでいます。
2026年8月6日撮影。堀川戎神社の拝殿です。朱塗りの柱に緑青色の屋根が載り、軒下に「堀川戎神社」と記した提灯が左右一対で下がっています。背後には高層の建物が並んでいます。

震災で折れた鳥居から、恵比寿像を彫った

公式サイトによれば、平成7年1月17日の阪神淡路大震災で、昭和2年に奉納された表門の石造鳥居の柱が破断しました。

その柱に彫刻を施したものが、平成10年の十日戎に奉納されます。平成12年には、公募によって名前が決まりました。

「福興戎像(ふくこうえびす/ふくおこしえびす)」。

「幸いを与える」の福と、「生ずる・起きる・盛んになる」の興を合わせた名です。震災の「復興」と音が重なります。

公式サイトはこう書いています。被災した鳥居から蘇った由来をもって、除災招福の象徴として広く崇敬者の心の支えになっている、と。

2026年8月6日撮影。木の扉を開いた覆屋に納められた福興戎像です。石の恵比寿像の足元に「福興戎」と記した札が立ち、右の掲示には「阪神淡路大震災被災 鳥居彫刻」「平成十年十日戎奉納」「平成十二年命名」と書かれています。手前は賽銭箱です。
2026年8月6日撮影。木の扉を開いた覆屋に納められた福興戎像です。石の恵比寿像の足元に「福興戎」と記した札が立ち、右の掲示には「阪神淡路大震災被災 鳥居彫刻」「平成十年十日戎奉納」「平成十二年命名」と書かれています。手前は賽銭箱です。

焼けて、折れて、それでも続く

この社の由緒には、失われた出来事がいくつも記されています。

平治の乱で避難し、明治の合併政策で摂社が動かされ、昭和20年の戦災で全建物を焼失し、平成7年の震災で鳥居が折れた。

そのあと、昭和33年(1958年)に榎木神社の地車の形をした本殿が、昭和38年(1963年)に堀川戎神社の本殿が再建され、折れた鳥居の柱は恵比寿像になりました。

十日戎は、毎年1月9日から11日に行われています。

堀川戎神社で受けた古い御札や御守、福笹は、翌年の十日戎の期間中に納めるよう神社は案内しています。十日戎が過ぎると境内でのお焚き上げができないためです。

訪ねるなら、南森町駅の1番出口から歩いて3分ほどです。駐車場はありません。門は6時(日の出)に開いて20時に閉まりますが、年末から1月中旬にかけては早めに閉まる場合があります(2026年9月28日確認)。

場所とデータは堀川戎神社のページにまとめています。


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参考・出典

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