金運・商売繁盛の福
「願いが叶うと地車ばやしが聞こえる」と伝わる稲荷 — 堀川戎神社
堀川戎神社の境内の榎木神社(地車稲荷)では、願いが叶うとその夜に地車ばやしが聞こえると言われてきた、と公式サイトは記しています。神の使いは狐ではなく狸で、お礼には狸が地車を曳く絵馬が奉納され、昭和33年に再建された本殿も地車の形をしています。
堀川戎神社の境内に、少し変わったお稲荷さんがあります。
神の使いが、狐ではなく狸です。
公式サイトによれば、願い事が叶うと、その夜に「地車ばやし」が聞こえると言われてきました。

榎の大木に、神が宿ると考えた
摂社の榎木神社(えのきじんじゃ)、通称「地車(だんじり)稲荷」の話です。
公式サイトによれば、慶長3年(1598年)に掘られた天満堀川の堀止めの横に、榎の大木がありました。いつの頃からか人々は自然に、その木に神霊——句句廼知神(くくぬちのかみ)——が鎮まっていると考え、根元に祠を作ります。
句句廼知神は木の神です。大きな木があり、そこに神がいると感じ、祠を置く。信仰の始まりとして、これ以上ないほど素朴な形です。

そして天保9年(1838年)、それまで堀止めだった天満堀川が大川まで延長されて通水した際、役所から榎木神社設立の命令があり、約15坪の土地を得ます。翌天保10年(1839年)、天満堀川両岸12ヶ町の協力で本殿と拝殿が造営されました。
このとき、堀川戎神社の末社である稲生神社の別魂(宇賀御魂神)が合祀されます。木の神とお稲荷さんが一つの社になった、ということです。
宇賀御魂神は稲荷の正式な神名です。詳しくは歯神社の記事「歯止め」が「歯痛止め」になったにあります。
お使いは狸、そして地車の音
ここからが独特です。
公式サイトは、はっきりこう記しています。榎木神社は、俗に神さまのお使いが狐ではなく狸(たぬき)という独特の信仰がある、と。
「地車稲荷」の通称は、江戸時代より「地車吉兵衛稲荷」の名とともに関西一円に名高く——
古くから願い事が叶えられると、その夜「地車ばやし」が聞こえると言われています
「地車ばやし」は、だんじり(地車)を曳く祭りで奏でられる囃子のことです。
願いが叶ったお礼には、小さな地車の模型や、狸が地車を曳く図柄の絵馬を奉納する方が大勢おられる、とも記されています。
社殿そのものが、地車の形をしている
榎木神社は明治40年(1907年)の神社合併政策で堀川戎神社の境内へ移され、昭和20年(1945年)の戦災で焼失しました。
再建されたのは昭和33年(1958年)。公式サイトによれば、そのとき建てられたのは——
他に類を見ない地車の構造をした彩色欅造りの本殿
社殿が、だんじりの形をしているのです。
通称の「地車稲荷」、願いが叶った夜に聞こえるという地車ばやし、狸が地車を曳く絵馬、地車の構造をした本殿。榎木神社には、地車にかかわるものが四つそろっています。
本社は「キタのえべっさん」
公式サイトによれば、堀川戎神社の創祀は欽明天皇の御代(539〜571年)。止美連吉雄(とみのむらじよしお)が蛭子大神の神託を受け、堀江で玉を得て、それを御霊代として蛭子大神を富島に祀り、瓊見社・止美社と名付けたのが始まりと伝えられています。

その後、白雉2年(651年)に少彦名命、大宝3年(703年)に天太玉命が加わり、御祭神三座となりました。平治の乱(1159年)を避けて丹波国山家へ動座し、文和年間(1352〜55年)に現在地へ遷座再興しています。
江戸時代中期から十日戎が年々盛大になり、「ミナミの今宮、キタの堀川」と並び称されました。ミナミの今宮戎についてはえべっさんは、寺を守る神として祀られたにまとめています。
なお少彦名命は、道修町の少彦名神社、梅田の露天神社でも祀られています。大阪の中心部で、この神は繰り返し現れます。

震災で折れた鳥居から、恵比寿像を彫った
公式サイトによれば、平成7年1月17日の阪神淡路大震災で、昭和2年に奉納された表門の石造鳥居の柱が破断しました。
その柱に彫刻を施したものが、平成10年の十日戎に奉納されます。平成12年には、公募によって名前が決まりました。
「福興戎像(ふくこうえびす/ふくおこしえびす)」。
「幸いを与える」の福と、「生ずる・起きる・盛んになる」の興を合わせた名です。震災の「復興」と音が重なります。
公式サイトはこう書いています。被災した鳥居から蘇った由来をもって、除災招福の象徴として広く崇敬者の心の支えになっている、と。

焼けて、折れて、それでも続く
この社の由緒には、失われた出来事がいくつも記されています。
平治の乱で避難し、明治の合併政策で摂社が動かされ、昭和20年の戦災で全建物を焼失し、平成7年の震災で鳥居が折れた。
そのあと、昭和33年(1958年)に榎木神社の地車の形をした本殿が、昭和38年(1963年)に堀川戎神社の本殿が再建され、折れた鳥居の柱は恵比寿像になりました。
十日戎は、毎年1月9日から11日に行われています。
堀川戎神社で受けた古い御札や御守、福笹は、翌年の十日戎の期間中に納めるよう神社は案内しています。十日戎が過ぎると境内でのお焚き上げができないためです。
訪ねるなら、南森町駅の1番出口から歩いて3分ほどです。駐車場はありません。門は6時(日の出)に開いて20時に閉まりますが、年末から1月中旬にかけては早めに閉まる場合があります(2026年9月28日確認)。
場所とデータは堀川戎神社のページにまとめています。
全国の、福が伝えられている場所を地図で探せます。→ 福跡マップで見てみる
この記事の場所のそばにある福
- 綱敷天神社(堀川戎神社 から 約539m)
- 大阪天満宮(堀川戎神社 から 約666m)
- 綱敷天神社御旅社(堀川戎神社 から 約1.2km)
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堀川戎神社の周りに、ほかにどんな福があるでしょうか。
堀川戎神社のまわりをひらく →訂正履歴
公開後に内容を改めた箇所を、日付とともに記録しています。
- :本文の説明の文を5か所、削るか短く改めました。由緒・年代・出典・引用の内容は変えていません。
- :訪ねる方のために、駅からの道のり、駐車場がないこと、開門と閉門の時刻(年末から1月中旬は早まる場合があること)、古い御札や福笹を納める時期を末尾に書き足し、出典に堀川戎神社の公式サイトの3ページを加えました。
- :「焼けて、折れて、それでも続く」の節で「昭和38年に本殿が再建され、昭和33年には地車の形をした社殿が建ち」と年の順が逆になっていたのを、公式サイトの由緒どおり、昭和33年に榎木神社の本殿、昭和38年に堀川戎神社の本殿が再建された、という順と書き方に改めました。
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