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願いが叶うと、その夜に「地車ばやし」が聞こえる — 堀川戎神社

2026-07-29 | 執筆・編集:福跡マップ編集部

堀川戎神社の境内に、少し変わったお稲荷さんがあります。

神の使いが、狐ではなく狸です。

そして公式サイトによれば、願い事が叶うと、その夜に「地車ばやし」が聞こえると言われてきました。

榎の大木に、神が宿ると考えた

順を追います。摂社の榎木神社(えのきじんじゃ)、通称「地車(だんじり)稲荷」の話です。

公式サイトによれば、慶長3年(1598年)に掘られた天満堀川の堀止めの横に、榎の大木がありました。いつの頃からか人々は自然に、その木に神霊——句句廼知神(くくぬちのかみ)——が鎮まっていると考え、根元に祠を作ります。

句句廼知神は木の神です。大きな木があり、そこに神がいると感じ、祠を置く。信仰の始まりとして、これ以上ないほど素朴な形です。

そして天保9年(1838年)、それまで堀止めだった天満堀川が大川まで延長されて通水した際、役所から榎木神社設立の命令があり、約15坪の土地を得ます。翌天保10年(1839年)、天満堀川両岸12ヶ町の協力で本殿と拝殿が造営されました。

このとき、堀川戎神社の末社である稲生神社の別魂(宇賀御魂神)が合祀されます。木の神とお稲荷さんが一つの社になった、ということです。

宇賀御魂神が稲荷の正式な神名であることは、歯神社の記事でも触れました。詳しくは「歯止め」が「歯痛止め」になったに書いています。

お使いは狸、そして地車の音

ここからが独特です。

公式サイトは、はっきりこう記しています。榎木神社は、俗に神さまのお使いが狐ではなく狸(たぬき)という独特の信仰がある、と。

そして「地車稲荷」の通称は、江戸時代より「地車吉兵衛稲荷」の名とともに関西一円に名高く——

古くから願い事が叶えられると、その夜「地車ばやし」が聞こえると言われています

だんじり囃子。祭りの音です。願いが通ったしるしが、音で届く。

願いが叶ったお礼には、小さな地車の模型や、狸が地車を曳く図柄の絵馬を奉納する方が大勢おられる、とも記されています。

狸が、だんじりを曳いている絵馬。想像するだけで愉快ですが、これが江戸時代から続く奉納の形です。

社殿そのものが、地車の形をしている

そして極めつけがあります。

榎木神社は明治40年(1907年)の神社合併政策で堀川戎神社の境内へ移され、昭和20年(1945年)の戦災で焼失しました。

再建されたのは昭和33年(1958年)。公式サイトによれば、そのとき建てられたのは——

他に類を見ない地車の構造をした彩色欅造りの本殿

社殿が、だんじりの形をしているのです。

通称が「地車稲荷」で、お使いが狸で、願いが叶うと地車ばやしが聞こえ、絵馬には狸が地車を曳き、そして本殿そのものが地車。一つの見立てが、ここまで徹底された社は珍しいと思います。

本社は「キタのえべっさん」

本社のほうも見ておきます。

公式サイトによれば、堀川戎神社の創祀は欽明天皇の御代(539〜571年)。止美連吉雄(とみのむらじよしお)が蛭子大神の神託を受け、堀江で玉を得て、それを御霊代として蛭子大神を富島に祀り、瓊見社・止美社と名付けたのが始まりと伝えられています。

その後、白雉2年(651年)に少彦名命、大宝3年(703年)に天太玉命が加わり、御祭神三座となりました。平治の乱(1159年)を避けて丹波国山家へ動座し、文和年間(1352〜55年)に現在地へ遷座再興しています。

江戸時代中期から十日戎が年々盛大になり、「ミナミの今宮、キタの堀川」と並び称されました。ミナミの今宮戎についてはえべっさんは、寺を守る神として祀られたに書いています。

なお少彦名命は、道修町の少彦名神社、梅田の露天神社でも祀られています。大阪の中心部で、この神は繰り返し現れます。

震災で折れた鳥居から、恵比寿像を彫った

もう一つ、現代の話を。

公式サイトによれば、平成7年1月17日の阪神淡路大震災で、昭和2年に奉納された表門の石造鳥居の柱が破断しました。

その柱に彫刻を施したものが、平成10年の十日戎に奉納されます。そして平成12年、公募によって名前が決まりました。

「福興戎像(ふくこうえびす/ふくおこしえびす)」

「幸いを与える」のと、「生ずる・起きる・盛んになる」のを合わせた名です。震災の「復興」と音が重なります。

公式サイトはこう書いています。被災した鳥居から蘇った由来をもって、除災招福の象徴として広く崇敬者の心の支えになっている、と。

折れた石を捨てずに、彫って神像にする。災害の記憶をそのまま信仰の対象に変えたわけです。

焼けて、折れて、それでも続く

この社の歴史を並べると、失われてばかりです。

平治の乱で避難し、明治の合併政策で摂社が動かされ、昭和20年の戦災で全建物を焼失し、平成7年の震災で鳥居が折れた。

それでも、昭和38年に本殿が再建され、昭和33年には地車の形をした社殿が建ち、折れた鳥居は恵比寿像になりました。

壊れるたびに、形を変えて戻ってくる。 そして毎年1月9日から11日には、変わらず十日戎が行われています。

場所とデータは堀川戎神社のページにまとめています。

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参考・出典

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