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金運・商売繁盛の福

えべっさんは、寺を守る神として祀られた — 今宮戎神社と十日戎

今宮戎神社は、公式由緒によれば西暦600年、聖徳太子が四天王寺を建立するにあたり、その西方の守護神として祀られたと伝わります。いまは商売繁盛の「えべっさん」として知られ、1月9日・10日・11日の十日戎には福笹が授与されます。

2026-07-29 | 執筆・編集:福跡マップ編集部

商売繁盛の神様として知られる今宮戎神社は、もともと寺を守るために祀られた社です。

公式サイトによれば、皇紀1260年(西暦600年)、推古天皇の御代に聖徳太子が四天王寺を建立するにあたり、同地西方の守護神として鎮齋されたと伝わります。

つまり四天王寺が先にあって、その西を守る神として置かれた。商売の話はそこには出てきません。

2026年7月30日撮影。今宮戎神社の境内に掛かる木の由緒板です。「御祭神」として天照皇大神・事代主命・素盞嗚尊・月讀尊・稚日女尊の名が並び、「例祭 一月十日」と由緒が記されています。左は「日魯漁業株式会社」と刻まれた石灯籠です。
2026年7月30日撮影。今宮戎神社の境内に掛かる木の由緒板です。「御祭神」として天照皇大神・事代主命・素盞嗚尊・月讀尊・稚日女尊の名が並び、「例祭 一月十日」と由緒が記されています。左は「日魯漁業株式会社」と刻まれた石灯籠です。

寺のために神社を建てる、という発想

現代の感覚だと、寺と神社は別のものです。仏さまと神さま、僧侶と神職、まったく違う場所として頭に入っている。

ですが千四百年前は、そうではありませんでした。寺を建てるとき、その方角を守る神を祀る。神と仏を一つの体系のなかで扱う。それが当たり前だった時代の産物が、今宮戎神社です。

こうした神と仏の関わり方については神仏習合とはにまとめています。四天王寺の周りには、同じ発想で置かれた社や堂がいくつも残っています。四箇院の施薬院跡に建つ愛染堂勝鬘院もその一つです。

御祭神について公式サイトは、天照皇大神・事代主命・外三神を祀ると記しています。「えべっさん」と呼ばれるのは、この事代主命がえびす神とされることによります。

四天王寺にとって、「西」は特別な方角だった

守護神を置くなら、なぜ西だったのか。ここには理由があります。

四天王寺の西門は、古くから「西方極楽浄土の東門」とされてきました。阿弥陀如来の浄土は西にあると考えられていたため、四天王寺の西門をくぐることは、浄土の入口に立つことを意味したのです。

しかも上町台地の西側は、当時すぐ海でした。西門から見れば、目の前に水があり、その向こうに日が沈んでいく。夕日の沈む方角が浄土につながっているという感覚は、地形と結びついた実感だったはずです。

その特別な方角の守りとして置かれたのが今宮戎神社でした。単なる方位除けではなく、寺がいちばん大事にしていた方向を担っていたことになります。

上町台地に寺社が密集している理由については、愛染さんはなぜ縁結びの寺なのかの記事で詳しく読めます。

十日戎(十日えびす)は1月9日・10日・11日 — 宵戎・本戎・残り福

今宮戎神社の名を全国に知らしめているのが十日戎です。

公式サイトによれば、十日戎は1月9日・10日・11日の3日間。商売繁昌を願う参拝者が多く訪れます。三日間の呼び名は、境内の「十日戎と福笹」の説明板に「一月九日 宵戎・十日 本戎・十一日 残戎」とあり、9日が宵戎、10日が本戎、11日が残戎(のこりえびす)です。大阪観光局の案内も同じ三つの呼び名で、11日は「残り戎」と書いています。11日は「残り福」と呼ばれることもあります。

大阪市浪速区の紹介ページは、この行事を「十日えびす(えべっさん)」と書き、毎年1月9日から11日としています。11日の「残り福」という呼び方は、キタの堀川戎神社も公式サイトの日程で使っています。

2027年の日程は、今宮戎神社の福娘募集の案内に、十日戎の福笹授与として1月9日(土)から11日(月・祝)と載っています。十日戎の詳しい案内は11月1日ごろに出す予定だと、神社のトップページにあります(2026年9月28日確認)。

この三日間、大阪の空気は明らかに変わります。地下鉄が混み、笹を持った人が街を歩く。年に一度、商いをする人たちが一斉に同じ場所へ向かう日です。

2026年7月30日撮影。境内の「十日戎と福笹」の説明板です。「一月九日 宵戎・十日 本戎・十一日 残戎」と三日間の呼び名が記され、右側には「福笹につける御札・吉兆類」として三体神符・大神符などの写真が一覧で並んでいます。
2026年7月30日撮影。境内の「十日戎と福笹」の説明板です。「一月九日 宵戎・十日 本戎・十一日 残戎」と三日間の呼び名が記され、右側には「福笹につける御札・吉兆類」として三体神符・大神符などの写真が一覧で並んでいます。

1月10日の宝恵駕籠(宝恵駕行列)

本戎の10日には、例年、宝恵駕(ほえかご)行列が行われます(大阪観光局の案内による)。今宮戎神社の公式サイトによれば、もとは大阪ミナミの芸者衆が駕を繰り出して参詣したことに始まり、二百年以上前にはすでに美しい行列に整えられ、格式ある奉納行事になっていました。明治・大正・昭和前期の最盛期には、百挺もの駕が華やかさを競ったと語り継がれています。

同じ案内は、行列の主催が今宮戎神社ではなく、地元住民をはじめとする振興会であることも書き添えています。表記は、神社が「宝恵駕」、日本大百科全書が「宝恵籠」、ラジオ関西の報道が「宝恵駕籠」とさまざまですが、指しているのは同じ行列です。

「商売繁昌じゃ笹もってこい」

境内に響く掛け声も、公式サイトに記載があります。

商売繁昌じゃ笹もってこい

この掛け声とともに、色とりどりの小宝を結んだ福笹が授与されます。授与を行うのは福娘です。

笹に小宝を結んでいくという形が面白いところで、笹そのものは何も語りません。そこへ小判や米俵や鯛をかたどった飾りを付けていく。願いを一つずつ結び足していく形になっています。

なお、福笹は毎年新しくいただくのが通例です。お守りやお神札の考え方と同じで、一年ごとに新しくする。この考え方についてはお守りの正しい扱い方にまとめています。持ち帰った福笹の飾り方(向きや高さ)は、今宮戎神社の福笹とは?で神社の案内にそって整理しました。

大阪の一年は、えべっさんで開く

大阪の夏祭りは、6月末の愛染まつりで開き、11月の神農祭で閉じます。

年の単位で見ると、その手前にもう一つ大きな行事があります。1月の十日戎です。

正月の三が日が明けて、すぐに十日戎が来る。商いの町の一年は、そこから動き出します。少彦名神社の神農祭が「とめの祭」と呼ばれるのに対して、こちらは年の口開けにあたるわけです。

薬の町の祭りで閉じ、商売の神で開ける。大阪という町の一年の輪郭が、そこに出ています。

2026年7月30日撮影。今宮戎神社の境内です。石灯籠と狛犬の奥で、本殿は工事の覆いに囲まれていました。
2026年7月30日撮影。今宮戎神社の境内です。石灯籠と狛犬の奥で、本殿は工事の覆いに囲まれていました。

笹を持って帰る、という形

授与されるのは、まず笹です。そこへ小判や米俵、鯛や俵をかたどった「小宝」を結んでいく。公式サイトが「色とりどりの小宝を結んだ福笹」と記しているとおりです。

笹が選ばれた理由として、竹はまっすぐ伸び、寒さにも青いままである——といったことが語られます。ただ、この説明がいつからのものかは確認できていません。

はっきりしているのは、持ち帰るものの形が「枝」だということです。お守りのように懐に入れるのでもなく、お神札のように棚に納めるのでもない。手に持って街を歩き、店や家に飾る。

十日戎の日の大阪で、笹を持った人が電車に乗っている光景は独特です。授与されたものが目に見える形で街を移動していく。商いの神様らしい、外に開いた形だと思います。

2026年7月30日撮影。今宮戎神社の社務所です。「社務所」と記した木の札が掛かり、軒下には恵比寿の顔を描いた赤い提灯が並んでいます。手前の白い布を掛けた台に授与品が置かれています。
2026年7月30日撮影。今宮戎神社の社務所です。「社務所」と記した木の札が掛かり、軒下には恵比寿の顔を描いた赤い提灯が並んでいます。手前の白い布を掛けた台に授与品が置かれています。

効果ではなく、区切りとして

年に一度、決まった日に、同じ場所へ商いをする人が集まるということには意味があると思います。去年の礼を言い、今年の始まりに区切りをつける。福笹はその印です。

千四百年前、寺の西を守るために置かれた神が、いまは商いの人の一年の起点になっている。役割はずいぶん変わりましたが、人がそこへ足を運び続けたという点は変わっていません。

場所とデータは今宮戎神社のページにまとめています。


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この記事の場所のそばにある福

今宮戎神社の周りに、ほかにどんな福があるでしょうか。

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参考・出典

8件出典に基づいて掲載しています

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