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現地レポ

高津宮を歩いてきました — 木札に全部書いてあった日

7月30日に高津宮を訪ね、境内の手書きの参拝順路に従って縁切坂を下り、相合坂を上った記録です。縁切坂の名は坂の形が離縁状の「三下り半」に似ていたから、相合坂は明治後期の氏子の土地奉納でできた、と境内の木札に書かれていました。

2026-07-31 | 執筆・編集:福跡マップ編集部

7月30日の午前11時すぎ、近鉄の大阪上本町駅から歩き始めました。この日の一件目が高津宮です。

歩いてすぐ気づいたのは、坂の多さでした。天王寺区のあたりは、場所によって急に道が上り下りします。以前訪ねた広島の尾道を少し思い出しました。坂が多くて、街並みに歴史の気配がある感じです。あとで分かることですが、この「坂の多さ」自体が、この日ずっと主役でした。

駅から15分弱で高津宮に着きます。町の中に、ふっと現れる神社です。石段を登って境内に入ると、思ったより静かでした。本殿のあたりに「パワースポット人気1位に選ばれました」という掲示があったので参拝の方は多いはずですが、この日は平日の昼前、境内はゆったりしていました。

通りに面した石段と「高津宮」の社号標
通りに面した石段と「高津宮」の社号標

手書きの「参拝順路」に従って歩く

境内の脇に、手書きの掲示がありました。「高津宮良縁参拝順路」。

手書きの「高津宮良縁参拝順路」の掲示。図入りで順路が示されている
手書きの「高津宮良縁参拝順路」の掲示。図入りで順路が示されている

良縁とは「人生を輝かせる縁」であり、男女の縁だけでなく仕事の縁・友人の縁も含む——と最初に書いてあって、順路は四段階。①神様にあいさつして祈願 → ②悪縁をたつ坂(縁切坂)を下って心を清浄にする → ③相合坂を、男性は南から・女性は北から上る → ④再び神前に戻って感謝。

この掲示を読みながら、実際に坂を下りて、上ってきました。

縁切坂は、境内の西側をくだる石段です。踊り場で折れながら下りていく、細い坂。上町台地の西の縁なので、下りた先の街との高低差が体で分かります。

西坂(縁切り坂)。踊り場で折れながら下る
西坂(縁切り坂)。踊り場で折れながら下る

相合坂は、横から見ると三角形で、南北二本の石段が頂点で合流します。男女が両側から同時に登って、頂点でぴたりと出会うと相性が良い——という坂です。一人で登ったので、検証はできませんでした。

相合坂(縁むすびの坂)。二等辺三角形の石段が南北から頂点で合流する
相合坂(縁むすびの坂)。二等辺三角形の石段が南北から頂点で合流する

木札に、全部書いてありました

それぞれの坂の下に、神社の木札が立っていました。社紋入りの、由緒書きと同じ様式のものです。読んで、足が止まりました。

西坂(縁切り坂) 明治初期まで坂の形状が三下り半になっていて俗に縁切り坂と呼ばれていた。(昔は離縁状を三下り半の形式で書いていた)

縁切坂の名前は、坂の形が「三下り半」=離縁状の書式に似ていたから。 恋愛の言い伝えではなく、地形と言葉の語呂だったわけです。

西坂の木札。離縁状の「三下り半」に由来する坂名の説明が書かれている
西坂の木札。離縁状の「三下り半」に由来する坂名の説明が書かれている

相合坂(縁むすびの坂) 明治後期、氏子の土地奉納により今のような坂ができた。

相合坂は、明治後期にできた坂。 千年以上の歴史を持つ社の名物の坂が、実は百数十年前の氏子さんたちの奉納でできている。

相合坂の木札。「明治後期、氏子の土地奉納により今のような坂ができた」とある
相合坂の木札。「明治後期、氏子の土地奉納により今のような坂ができた」とある

この二つの坂のことは、出かける前に神社の公式サイトや大阪市の公式ページで調べても記述が見つからず、「公的な由緒には載っていない、土地の言い伝え」だと思っていました。現地の木札に、全部書いてありました。

境内は「読む場所」でした

高津宮は、木札と石碑の密度がすごい神社です。

梅乃橋の木札。梅川と道頓堀上流説について書かれている
梅乃橋の木札。梅川と道頓堀上流説について書かれている

それから、「2万年前の神代杉」という展示。2万年前。本当かどうか私には分かりませんが、本当なら、すごい。

「2万年前の神代杉」の展示。札に「ここに2万年前の神代杉があります」とある
「2万年前の神代杉」の展示。札に「ここに2万年前の神代杉があります」とある

社務所ではビデオも見られます(約18分・9時〜17時)。上方文化の発祥地とされるこの一帯の歴史をまとめたもので、上方落語もこのあたりから始まったのだそうです。

境内社も、それぞれ商売をしている

境内には高倉稲荷神社があって、朱の鳥居が並んでいます。ここでは「自分だけの鳥居」を奉納できるそうです。

高倉稲荷神社の朱の鳥居
高倉稲荷神社の朱の鳥居

もう一つ、安産守護の安井稲荷神社。こちらには占いの案内が出ていました。

御朱印は2種類いただけます。私は高津宮と高倉稲荷の両方をいただいてきました。

高津宮の御朱印。令和八年七月三十日
高津宮の御朱印。令和八年七月三十日

鳥居を出ると、すぐ家

参拝を終えて鳥居をくぐって出ると、目の前がもう普通の家です。生活圏のど真ん中に、仁徳天皇を祀る社がある。この距離の近さが、この日回った大阪の社に共通する、いちばん面白いところでした。

実用情報を一つ。社務所の掲示によれば、開門は午前6時・神殿の扉が閉まるのは午後5時・閉門は日没です。坂と木札をゆっくり読むなら、明るいうちにどうぞ。

社務所の「開閉門時刻」の掲示
社務所の「開閉門時刻」の掲示

この日はこのあと生國魂神社へ歩きました。上町台地の北端から、坂と社を拾いながら南へ下る一日の、これが始まりです。

訪れる前に

谷町九丁目駅から訪れる方は、出入口の案内にご注意ください。1号出入口は2026年10月22日の初発から閉鎖予定です。4号出入口も工事で閉鎖中ですが、駅の案内ではエレベーターは引き続き利用できるとされています。高津宮の公式アクセスは2号出口から徒歩5分。生國魂神社の公式サイトにある9〜16時は電話受付の時間なので、参拝や御朱印の受付時間とは分けて予定を立ててください。(2026年9月30日確認)

車で行く場合は、境内の駐車スペースが限られていることを知っておくと安心です。神社の2026年8月6日のお知らせによると、駐車スペースは祈祷を申し込んだ方が優先で、神社の関係車両も使うため空いているとは限りません。公共交通機関か近くの有料駐車場を使うよう呼びかけていて、カフェや部屋の利用など、参拝以外での境内駐車は断っています。

場所とデータは高津宮 相合坂・縁切坂と高津宮 献梅碑へ。坂の由来を詳しく書いた高津宮の縁切坂と相合坂もどうぞ。


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この記事の場所のそばにある福

生國魂神社の周りには、天王寺区の福が7件あります。

天王寺区の福 7件をひらく →

参考・出典

7件出典に基づいて掲載しています

訂正履歴

公開後に内容を改めた箇所を、日付とともに記録しています。

この記事について

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