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現地レポ

サムハラ神社へ行ってきました — ビル街の小さな社と、読めない四文字

大阪市西区のビル街にあるサムハラ神社を夕方に訪ね、社名の正体である漢字に似た四文字の「符字」を境内の石碑で確かめた記録です。指輪型の御守「御神環」の申込みが、訪れた7月の時点では締め切られていたことや、帰りに寄った靱公園の来歴も書いています。

2026-07-28 | 執筆・編集:福跡マップ編集部

全興寺をあとにして、夕方に時間が空いたので、もう一つ行ってみたかった場所に寄ることにしました。

大阪市西区にある、サムハラ神社です。

ビル街の道路沿いに「サムハラ神社」の看板が立つ
ビル街の道路沿いに「サムハラ神社」の看板が立つ

昔、目の前を通ったことはあるのですが、参拝したことはありませんでした。この神社には、前から気になっていた面白い点がいくつもあります。

まず、大阪のビル街のど真ん中に存在すること。そして、社名にカタカナが使われていること。

「サムハラ」は漢字ではなかった

カタカナなのには理由があります。サムハラは本来、漢字によく似た四文字の特殊な文字——「符字」——で書かれるのです。ふだんはカタカナで書かれています。文字そのものに力が宿ると伝えられてきました。

実際の表記は、境内の石碑で見ることができます。

石碑に刻まれた符字の四文字
石碑に刻まれた符字の四文字

たしかに、漢字のようで漢字ではない。初めて実物を見ましたが、不思議な字です。

由緒も一人の人物の物語として面白いのですが——神社の初代主管者・田中富三郎が、日清・日露の戦役で危難を切り抜けたことを郷里に伝わる「サムハラ」の護符の御陰と信じ、昭和10年(1935年)に郷里(現在の岡山県津山市加茂町)で荒廃していた古祠を再建した——この話は次の記事に詳しくまとめています:サムハラ神社とは — 読めない四文字と指輪の御守「御神環」の由緒

御神環のこと

この神社で有名なのが、指輪型の御守「御神環(ごしんかん)」です。受けられる時期や申し込みの形は変わってきているので、現在の状況はサムハラ神社の指輪の御守はいま受けられるのかで確かめてください。内側に符字が刻まれ、身につけていると災難から身を守ってくれると伝えられて大きな話題になりました。

御神環守のイメージ(イラスト。実物の写真ではありません)
御神環守のイメージ(イラスト。実物の写真ではありません)

現在の状況を公式サイトで確認すると、奉製の申込は令和7年(2025年)11月末で一旦終了しており、2026年7月時点では新規の受付は停止中です。申込済みの方への奉製・お渡しは進んでいるようで、完了した申込番号が公式サイトに掲示されています。また、ペンダント型の「銀環守」「銀小札守」については社務所へ問い合わせる形で案内されていました。

(2026年10月3日追記:公式サイトは、令和8年(2026年)の申込みを10月15日から11月24日まで受け付けると案内しています(2026年10月2日に確認)。申込みの方法は指輪の御守の記事にまとめました。)

公式サイトには「御加護の証の御守であり、記念品ではありません」とも記されています。頒布が再開されたら、いつか正式にお受けしたい——そう思える御守でした。

境内へ

場所は、警察関係の建物に囲まれた一角。ビル街の中です。

境内の参道。奥に社殿が見えてくる
境内の参道。奥に社殿が見えてくる

少し細い参道を進んでいくと、社殿が見えてきます。本当に小さな神社です。でも、何とも不思議な感覚のある場所でした。周りはビル群なのに、すごく澄んでいるというか、静かで神聖な感覚。

社殿。両脇に神紋の入った提灯が下がる
社殿。両脇に神紋の入った提灯が下がる

夕方でしたが、仕事帰りらしい会社員の方が立ち寄って、お参りをしていました。

境内の摂社・天之参剣神社
境内の摂社・天之参剣神社

境内には摂社の天之参剣(あめのみつるぎ)神社もあります。立て札には、造化三神の神剣からなる御神徳を持つと記されていました。サムハラ神社の御祭神は、公式サイトでも造化三神(天之御中主大神・高皇産霊大神・神皇産霊大神)とされています。

拝殿前の賽銭箱。符字の紋が入る
拝殿前の賽銭箱。符字の紋が入る

「サムハラ」という言葉自体、唱えるだけで災難から身を守る言霊として使われてきた、という紹介もあります。私も心の中で「サムハラ」と唱えて、お賽銭と参拝をしてから帰路につきました。

都会のど真ん中に、小さく在り続ける神社。数々の厄除けの伝承を持つ場所です。難波や梅田からも電車ですぐ来られるので、大阪に来られる際はぜひ寄ってみてください。

帰り道に、靱公園

ちなみに帰路の途中、近くにある靱公園にも寄ってみました。

靱公園。東西にまっすぐ伸びる園路
靱公園。東西にまっすぐ伸びる園路

いまは都会のど真ん中にある癒やしの公園ですが、この場所には別の歴史もあります。江戸期から続いた靱の塩干魚市場が昭和6年(1931年)に閉じ、1945年の空襲で一帯は焼失。戦後は連合国軍に接収されて「靱飛行場」となり、返還を経て1955年に公園として開かれたとされます。東西に細長い公園の形に、その頃の名残を見る紹介もあるほどです。

姉妹サイトの「痕跡マップ」には、この靱公園が旧靱飛行場の痕跡として載っています。土地の記憶に興味のある方は、痕跡マップものぞいてみてください。

夕暮れの公園を歩きながら、この日一日を振り返ります。朝は奈良の山そのものをご神体とする大神神社、昼は環濠の町・平野郷の杭全神社と全興寺、夕方はビル街のサムハラ神社。時代も姿もまったく違うのに、どこも「その土地の人がずっと守ってきた場所」でした。

朝の大神神社から始まったこの日の記録は、これでおしまいです。

この記事の場所のそばにある福

サムハラ神社の周りに、ほかにどんな福があるでしょうか。

サムハラ神社のまわりをひらく →

参考・出典

4件出典に基づいて掲載しています

訂正履歴

公開後に内容を改めた箇所を、日付とともに記録しています。

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