神社の教養
秀吉を祀る社が大阪城へ来たのは1961年 — 大阪城豊國神社
豊國神社が大阪城公園に来たのは昭和36年(1961年)で、城よりずっと後のことです。明治天皇の言葉をきっかけに、明治13年に京都の本社の別社として中之島で創立され、戦後に大阪市の要望を受けて現在地へ移されました。御祭神は秀吉・秀頼・秀長の三柱です。
大阪城公園にある豊國神社は、豊臣秀吉を祀る社です。城を築いた人が、城の中に祀られている。
ごく自然な光景に見えますが、この社が大阪城へ来たのは昭和36年(1961年)です。城のほうが四百年近く先にあり、社は後から入ってきました。
明治天皇の一言から始まった
公式サイトの由緒によれば、始まりは明治元年です。
明治天皇が大阪へ行幸した際、「国家の為に大勲労のあった豊太閤を、この大阪の清浄な地に奉祀する様に」と仰せ出された——それがきっかけでした。
豊太閤とは秀吉のことです。江戸幕府の時代、豊臣の顕彰は当然ながら難しい立場にありました。徳川の世が終わり、明治になって初めて、秀吉を公に祀る道が開いたことになります。
そして明治6年、京都の阿弥陀ヶ峰の墓前を本社とし、明治13年(1880年)、大阪では中之島に別社として創立されました。
最初の鎮座地は、中之島だった
つまり、この社は最初から大阪城にあったわけではありません。
中之島。大川の中州で、明治期には大阪の行政・経済の中心になっていく場所です。城跡ではなく、当時の「大阪の中心」に置かれた。
公式サイトによれば、その後、昭和31年に大阪市から移転の要望が再開され、昭和36年1月、中之島から現在の神域へ奉遷されました。
戦後の大阪で、中之島の再開発が進んだ時期にあたります。行政の都合で社が動く、という点では、四百年前に起きたことと構図が似ています。
御祭神は三柱 — 秀頼と秀長も
祀られているのは秀吉だけではありません。
公式サイトによれば、御祭神は豊臣秀吉公・豊臣秀頼公・豊臣秀長卿の三柱です。
秀頼は秀吉の子で、大坂の陣で城とともに滅びました。秀長は秀吉の弟で、豊臣政権の実務を支えた人物として知られます。天下人だけでなく、その一族が並んで祀られている形です。
上町台地の「動いた社」の、最後の一つ
この社の話は、上町台地のほかの社の話とつながります。
天正11年(1583年)、豊臣秀吉が大坂城を築いたとき、上町台地の社はそれぞれ違う運命をたどりました。
| 社 | 何が起きたか |
|---|---|
| 生國魂神社 | 城の敷地になるため移された(天正11年) |
| 高津宮 | 同じく移された(天正11年) |
| 玉造稲荷神社 | 社域の多くが三の丸・城下町として整備された |
| 大阪城豊國神社 | 後から城に入ってきた(昭和36年) |

社を動かした側の人物を祀る社が、いちばん最後に、しかも三百八十年近く経ってから城へ入る。順番としてはなかなか皮肉が効いています。
それぞれの経緯は大坂城を建てるために動かされた社、高津宮の縁切坂と相合坂、大坂城の鎮守神とされた社にあります。

京都と大阪、二つの豊國神社
豊臣秀吉を祀る「豊國神社」は複数あります。
公式サイトの由緒によれば、明治6年に京都・阿弥陀ヶ峰の墓前を本社とし、明治13年に大阪では中之島に別社として創立された、という関係です。
阿弥陀ヶ峰は、秀吉が葬られた場所です。つまり京都側が墓所に建つ本社で、大阪側はその別社として始まりました。
秀吉は大坂城を築いた人物ですが、その墓は京都にあり、社の本体も京都にある。大阪の豊國神社は「大阪にも祀りたい」という明治の大阪の意志から生まれた社ということになります。城の中に来たのがさらに八十年後だった、という順番も含めて、この社は近代の大阪が自分たちの手で作った場所です。
「出世」の社として
現在この社は、出世開運の信仰で知られています。
理由は説明するまでもありません。足軽の身から天下人になったとされる人物が祀られているからです。長く人が出世を願ってきた場所です。
境内には秀吉の像が立ち、天守閣を見上げる位置にあります。像も社殿も戦後のものですが、見上げている天守もまた昭和6年に再建されたものです。この一角は、豊臣を懐かしむ近代以降の大阪が自分たちで作った風景にあたります。
「古そうに見えるもの」と「実際に古いもの」は別です。天守は昭和、社は昭和36年に移転、像も戦後。それでも人はここで手を合わせます。新しいから価値が無いのではなく、新しくてもそこに願いが集まれば、それは信仰の場になる——ということだと思います。
同じことは、昭和49年に建てられた難波八阪神社の獅子殿にも言えます。詳しくは12メートルの獅子は、舞台だったにあります。

城と社と、四百年
千三百年前から上町台地の北端にあった生國魂神社が、城のために動かされた。四百年近く経って、その城を築いた人を祀る社が、城の中に入ってきた。
同じ台地の上で、それだけの時間をかけて場所の取り合いと入れ替わりが起きています。
場所とデータは大阪城豊國神社のページにまとめています。
全国の、福が伝えられている場所を地図で探せます。→ 福跡マップで見てみる
この記事の場所のそばにある福
- 玉造稲荷神社(玉造清水・利休井)(大阪城豊國神社 から 約744m)
- 大阪天満宮(大阪城豊國神社 から 約1.8km)
- 比賣許曽神社(ひめこそじんじゃ)(大阪城豊國神社 から 約2.0km)
- 少彦名神社(神農さん)(大阪城豊國神社 から 約2.1km)
大阪城豊國神社の周りに、ほかにどんな福があるでしょうか。
大阪城豊國神社のまわりをひらく →参考・出典
2件出典に基づいて掲載しています
- 神社の由緒 | 大阪城豊國神社
osaka-hokokujinja.org - inari.or.jp
訂正履歴
公開後に内容を改めた箇所を、日付とともに記録しています。
- :本文の説明の文を6か所、削るか短く改めました。由緒・年代・出典・引用の内容は変えていません。
- :大坂城築城のときの社の表で、玉造稲荷神社を「移されず、三の丸として城に取り込まれた」としていましたが、神社公式の由緒は社域の多くが三の丸・城下町として整備されたと説明しているため、そのとおりに改め、出典に加えました。
- :玉造稲荷神社の記事の題名を改めたのに合わせ、リンクの名前を「城に取り込まれた社」から「大坂城の鎮守神とされた社」に改めました。
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