神社の教養
大阪の社をたどると、京都に着く — 八坂・北野・城南宮
このサイトで大阪の社を三十ほど調べてきて、気づいたことがあります。
由緒書きに、やたらと京都が出てくる。
道修町の薬の神様は京都から勧請された。難波の八阪さんは祇園の牛頭天王を祀る。梅田の「キタ」という地名は、京都の北野天満宮から来ている。
大阪の福跡をたどると、かなりの確率で京都に着くわけです。今日はその構造そのものを書きます。
八坂神社 — 疫病から始まった祭
まず祇園の八坂神社から。
八坂神社の公式サイトによれば、創祀は平安京遷都以前にさかのぼり、古来「都の疫病除けの神社」として信仰されてきました。主祭神の素戔嗚尊(すさのおのみこと)は、あらゆる災いを祓う神とされています。
そして祇園祭の始まりが、はっきり書かれています。
貞観11年(869)に京の都をはじめ日本各地に疫病が流行したとき、勅を奉じて当時の国の数66ヶ国にちなんで66本の矛を立て、祇園社より神泉苑に神輿を送って、災厄の除去を祈ったことにはじまります
66本の矛は、66の国。当時の日本の国の数です。一本が一国を意味していました。
京都の疫病だけでなく、日本全国の疫病を祓うための祭だったわけです。
日本三大祭に数えられる祇園祭は、疫病対策として始まっている。華やかさの起点が、そこにあります。
大阪の「難波八阪神社」との関係
このサイトで扱った難波八阪神社は、公式サイトによれば古来「難波下の宮」と称され、後三条天皇の延久年間(1069〜1073年)頃から祇園牛頭天王を祀る古社です。
牛頭天王は、素戔嗚尊と同一視されてきた神。祇園の信仰が難波にも来ていたわけです。
ただし、両者は別の神社です。
| 表記 | 場所 | |
|---|---|---|
| 京都 | 八坂神社 | 東山区祇園町 |
| 大阪 | 難波八阪神社 | 浪速区 |
「坂」と「阪」で字が違います。 別法人です。混同されやすいので、書いておきます。
北野天満宮 — 「キタ」の語源になった社
次に北野天満宮。
公式サイトによれば、天暦元年(947年)、御神託により平安京の天門(北西)にあたる北野の地に菅原道真公を祀って創建されました。全国約一万二千社の天満宮・天神社の総本社です。
天門(北西)は、鬼門(北東)と並んで気を配る方角とされてきました。都の弱点にあたる方角に、道真を祀った。
大阪への波及が、地名になっている
大阪側を見ると、時系列がきれいに並びます。
| 年 | できごと |
|---|---|
| 947年 | 北野天満宮創建(京都) |
| 949年 | 大阪天満宮創建(一夜に七本の松が生えた奇瑞) |
| 993年 | 綱敷天神社が合祀を経て、北野天満宮にならい「北野天神」とも称される |
そして綱敷天神社の公式サイトによれば、この「北野」から当地の村名が「北野村」となり、それが現在の梅田周辺の繁華街を指す「キタ」の語源になったと伝えられます。
大阪の「キタ」は、京都の北野から来ている。
ミナミに対するキタ、という対比で使われる言葉が、千年前の京都の地名を経由している。私はこれを知ったとき、しばらく地図を眺めていました。
なお、道真が学問の神になったのは江戸時代の寺子屋の普及以降です。北野天満宮の公式サイトも、寺子屋で菅公の御神影を掲げて学業成就・書道上達を祈る風習が広まったことを、信仰の由来として挙げています。詳しくは天神様はなぜ学問の神なのかに書きました。
城南宮 — 「方違え」で泊まる場所
三つめが、伏見の城南宮(じょうなんぐう)です。
城南宮の公式サイトによれば、794年の平安京遷都に際して都の南の守護として創建され、社名は「平安京の南に鎮まる」ことに由来します。
そして「方除(ほうよけ)の大社」として知られる、その起源が面白い。
平安後期、白河上皇・鳥羽上皇が城南離宮(鳥羽離宮)を造営した際、貴族が方違え(かたたがえ)の宿所として利用し、方位の災厄除けを祈願した
方違えの、宿所。
今日、堺の方違神社について書いたばかりでした。方違えとは、行きたい方角が悪いとき、いったん別の方角へ行って一泊し、翌日そこから目的地へ向かうという平安時代の風習です。
つまり——
| 社 | 方違えにおける役割 |
|---|---|
| 城南宮(京都・伏見) | 実際に泊まる場所。上皇の離宮に貴族が宿を取り、方位の災いを祈った |
| 方違神社(堺) | 方位そのものが無い土地。三国の境で、どの国にも属さない清地 |
二つ揃うと、方違えという仕組みが見えます。
京都の側は「別の方角に一泊する」という手順そのもの。堺の側は「方位の効かない場所を用意する」という、より抜本的な解決。
どちらも、方角の吉凶を回避するための実務です。
城南宮の方除大祭は4月第2日曜に行われます。
道修町の神農さんも、京都から
もう一つ、既に書いた例を挙げておきます。
大阪・道修町の少彦名神社(神農さん)は、安永9年(1780年)に京都の五條天神社から少彦名命を勧請し、すでに祀られていた中国の医薬の祖神・神農炎帝と合祀したのが始まりでした。
薬の町の神様も、京都から来ています。
「勧請」という仕組み
まとめます。
| 大阪の福跡 | 京都との関係 |
|---|---|
| 難波八阪神社 | 祇園牛頭天王(八坂神社)の信仰 |
| 大阪天満宮・綱敷天神社 | 北野天満宮が総本社。「キタ」の地名の由来 |
| 少彦名神社 | 京都・五條天神社から勧請 |
| 方違神社(堺) | 城南宮と同じ「方除」の信仰 |
これを可能にしているのが「勧請(かんじょう)」という仕組みです。神の分霊を迎えて、別の場所に祀る。
神様は、コピーできる。 乱暴な言い方ですが、実務としてはそういうことです。だから全国に一万二千の天満宮があり、無数の八幡宮と稲荷社があります。
そして興味深いのは、勧請された先が、独自の顔を持っていくことでした。
難波八阪神社は12メートルの獅子殿という京都にはないものを作り、大阪天満宮は天神祭という水の祭を育て、綱敷天神社は梅田とキタという地名を残しました。
元は同じでも、土地が違えば別のものになる。 大阪の福跡を集めていて、これがいちばん面白いところだと思っています。
場所とデータは八坂神社、北野天満宮、城南宮の各ページにまとめています。
---
あなたの町の福の気配を測ってみる。→ 福跡マップで見てみる